残像1945:戦時中の陸軍墓地 「伝えていくことも大切」 福岡・久留米

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残像1945毎日新聞 2025/11/13 11:00(最終更新 11/13 11:00) 457文字ポストみんなのポストを見るシェアブックマーク保存メールリンク印刷久留米競輪場がある敷地の雑木林に残る「円形野外講堂」。ステージ裏手には楽屋のような建物が併設されていたようで、今は基礎のみが確認できる。戦後80年が経過し、樹木が侵食していた=福岡県久留米市で2025年10月22日、平川義之撮影 福岡県久留米市の久留米競輪場は戦時中、大規模な「陸軍墓地」と関連施設が建設された場所だった。今も5000人を超える戦死者をまつる忠霊塔があり、毎年5月には市主催の戦没者慰霊祭が開かれている。 関連施設の中には、ステージや客席が設けられた円形野外講堂があり、1942年の完工式と慰霊祭では奉納舞踊が上演されている。また、遥拝台(ようはいだい)は皇居の方角へ拝礼する宮城(きゅうじょう)遥拝のための建物で、戦時中は士気高揚を目的に盛んに行われた。Advertisement 陸軍墓地は第二次世界大戦が始まる39年に着工し、戦時中の42年に完成。建設は地元中学生や住民らが無償で従事する勤労奉仕の形で動員された。その人数は延べ11万人以上に上る。競輪場は戦災復興を目的として49年に造られた。 自治区内に陸軍墓地がある「池の谷自治会」の中垣忠子会長(86)は、残された遺構を活用しようと尽力する一人だ。説明板の設置や音楽会の開催を実施してきた。「戦争を知る世代が語り継ぐことも大事だけど、残された遺構を保存し、伝えていくことも大切」【平川義之】【前の記事】大阪湾への侵入を防ぐ要塞だった友ケ島 今や「ラピュタ」似と若者訪問関連記事あわせて読みたいAdvertisementこの記事の特集・連載現在昨日SNSスポニチのアクセスランキング現在昨日1カ月アクセスランキングトップ' + '' + '' + csvData[i][2] + '' + '' + '' + listDate + '' + '' + '' + '' + '' + '' } rankingUl.innerHTML = htmlList;}const elements = document.getElementsByClassName('siderankinglist02-tab-item');let dataValue = '1_hour';Array.from(elements).forEach(element => { element.addEventListener('click', handleTabItemClick);});fetchDataAndShowRanking();//]]>