安倍昭恵氏=2024年4月22日、山口県下関市、日吉健吾撮影 安倍晋三元首相銃撃事件で起訴された山上徹也被告(45)の裁判員裁判の第7回公判が13日午後、奈良地裁で開かれ、安倍氏の妻の昭恵さんの上申書が読み上げられた。 上申書は安倍氏の一周忌の後の2023年8月4日につくられたという。主な内容は次の通り。 ◇ 夫、安倍晋三が奈良市内で応援演説中に撃たれてから1年が経過しました。先日つつがなく一周忌を終え、先祖代々の墓所に納骨しました。 あの日の出来事や心情を話します。 7月8日朝、母のところで夫と3人で朝食を食べました。夫は行ってきますと元気に出かけ、「いってらっしゃい」と見送りました。いつも通りの朝でした。 母といたところ、安倍事務所から「夫が撃たれた」と連絡がありました。「ええ」と大きな声で叫び、テレビをつけると、夫が撃たれたというニュースが映りました。 あまりの衝撃に理解が追いつきませんでした。 1人で東京駅へ行き、新幹線のチケットをとりました。スマホを見ると、世界中の友人、知人から、夫の命が助かることを祈るメッセージが大量にきていました。それを読んで、夫の容体がよくないことを察しました。 京都駅で警察官らと合流し、電車と車を乗り継いで、午後5時少し前に奈良県内の病院に到着しました。 夫の手を握り、耳元で「しんちゃん、しんちゃん」と名前を呼ぶと、手を握り返してくれたような気がしました。 夫の体はまだ温かく、医療スタッフの方々が頑張って心臓マッサージをしてくれたかいがあって、待っていてくれたのだと思います。 スタッフに「もう結構です」と声をかけて、夫は午後5時3分に息を引き取りました。 頭の中が真っ白で、すべてが夢の中のような感覚でした。悲しい、つらいという気持ちのわく余地もなく、涙も出ませんでした。 夫は真面目で、優しく、誠実で、偉そうなことを言うことはありませんでした。 勉強家、努力家で、様々な勉強をしていました。高齢の母にいい思い出を作ってあげようと、屋上に出たり散歩をしたりと、孝行をしていました。母をのこすのは心残りだったと思います。 桜の季節に生きていれば、花見やドライブに行っていただろうと、なにかにつけて頭をよぎります。 夫は家族であり、友人であり、かけがえのない人です。 総理大臣を辞職してから、2人で過ごす時間が多くなると思っていたのに、突然逝ってしまいました。 葬儀や国葬もしてもらい、多くの国の首脳も弔問をしてくれました。 「日本よ、世界の真ん中で咲き誇れ」という夫の意思を第一にしてきました。 死を実感してからは、思い出すと涙が出るようになりました。 気を張って1年過ごしましたが、一周忌で夫と親しくしていた人の顔を見ると、なぜここに夫がいないのか、涙がわき出て止められません。 夫にただ生きていてほしかった。長生きしてほしかった。これが私の心情です。