信玄、信長、家康も通った道から「幻の石畳」 地元住民が執念の発掘

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有料記事吉沢龍彦2025年11月10日 14時55分土の下から現れた中道往還の石畳。再び土砂が流れ込まないように、新たに石積みも施した=2025年10月14日、甲府市右左口町、吉沢龍彦撮影 武田信玄や織田信長、徳川家康も通った峠の道から、「幻の石畳」が出現した。山中で土砂に埋もれていた昔の石畳の一部を、地元住民が手作業で、8年かかって掘り出した。 石畳が現れた道は、駿河(静岡県)と甲斐(山梨県)を最短距離で結ぶ「中道(なかみち)往還」。駿河湾のそばから富士山の西側を抜けて御坂(みさか)山地に入り、峠を越えて甲府盆地に下りていく総延長約80キロの古道だ。中世や戦国時代には軍用道路として活用された。甲斐の信玄や、武田家を滅ぼした信長や家康も、この道を往来したと伝えられる。 江戸時代には、駿河湾でとれたマグロなどの海産物を、海のない甲府に運ぶ「魚の道」だった。鮮度が命のマグロを、人が背負ったり馬を使ったりして一昼夜で運んだと言われる。甲府盆地の入り口にある宿場町、右左口(うばぐち)宿(甲府市)の住民には関所の通行と海産物の売買が許可され、おおいににぎわった。 ちなみに、甲府の市民は今でもマグロ好きで、1世帯あたり消費額は全国屈指となっている。右左口宿の町並み=2025年10月14日、甲府市右左口町、吉沢龍彦撮影歴史とともにその役割を変えてきた中道往還。しかし、昭和に入るとすたれ、峠道の区間は土に埋もれました。後半では「幻の石畳」を発掘した地元住民の奮闘をたどります。わずかに見えた痕跡 昭和に入って静岡と山梨をつ…【30周年キャンペーン】今なら2カ月間無料で有料記事が読み放題!詳しくはこちらこの記事を書いた人吉沢龍彦ネットワーク報道本部専門・関心分野教育、子育て、選挙、地方自治、日本近現代史、くらし、まちづくり、登山こんな特集も注目ニュースが1分でわかるニュースの要点へ11月10日 (月)NHK党の立花容疑者を逮捕葬儀料金めぐるトラブル多発4人の遺族 米オープンAI提訴11月9日 (日)物価高対策に「おこめ券」外観要件、高裁が「違憲」クマ出没、秋の観光に打撃11月8日 (土)「置き配」を標準サービスに首相「存立危機事態なりうる」生活保護費改定やり直し検討11月7日 (金)12歳が「人身取引」被害か警察がライフルでクマ駆除へ日産が本社ビル売却トップニューストップページへ立花孝志容疑者を送検 亡くなった元兵庫県議の名誉傷つけた疑い9:55容疑者が取り調べを拒否、黙秘に 26年前の名古屋・女性殺害事件13:06史上最長の米政府機関閉鎖、40日目で解除にめど 国民から妥協圧力14:50高市首相答弁に中国総領事「汚い首斬ってやる」 日本政府が抗議14:07金メダル獲得のデータサイエンティスト 「AIの前に現場」の仕事術11:00800年前に捕らえられた「人魚」の骨 人間の願いで表面はツルツル14:00