「ほっとする」 浪江の我が家 原発事故から14年越しの帰還

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写真・文 米田怜央2025年11月12日 7時00分朝日が差し込むお気に入りのテラス席で、風景を眺めながらコーヒーを楽しむ半谷正夫さん(左)と妻の幸子さん=2025年9月19日、福島県浪江町 東日本大震災による東京電力福島第一原発事故で、町面積の8割が帰還困難区域の福島県浪江町。その一部が昨年、帰還を希望する住民が戻れるように除染を進める「特定帰還居住区域」に指定された。今年7月には、再び自宅で生活できるようになる準備宿泊制度が始まった。 同町大堀地区に生まれ暮らしてきた半谷(はんがい)正夫さん(73)は戻ることを希望。制度を使って、平日は避難先の同県いわき市から通い、土日は妻の幸子さん(69)と愛犬のサスケと寝泊まりする生活をしている。 「この景色が好きで、帰ってきたんだ」 9月中旬の朝。正夫さんは幸子さんと自宅のテラスに座り、広がる風景を眺め、つぶやいた。 朝食を済ませ、自宅周りの畑で育てるスイカやジャガイモ、落花生などの手入れや、すぐに伸びてくる草刈りに追われる。震災後、出没するようになったサルから畑を守ろうと、防護ネットも張る。 サスケの散歩中、すれ違う人はいない。自宅から歩いて5分ほどの場所では、いまだに「この先帰還困難区域につき通行止め」と書かれた看板が立っている。 半谷さんは震災の1年前、念願だったログハウスを新築し、穏やかな老後の生活を楽しみにしていた。だが原発事故で生活は一変。避難先を転々とした後、2014年にいわき市に落ち着いた。 この地区で他に戻る住民は、今はいない。同町内の特定帰還居住区域は約940ヘクタールで、332世帯が帰還を希望しているが、環境が整い準備宿泊に至ったのは半谷さんを含め2世帯だけだ。原発事故から14年が経ち、避難者の多くが新たな場所で、新たな生活を築いている。 半谷さん自身も、いわき市での生活は12年目を迎えた。それでも、故郷の風景や暮らしを忘れることは出来ないという。「帰るとほっとする。最後には、生まれた場所に戻りたい」 夜8時、半谷さん宅のベランダから外を見やると、家の近くにある唯一の街灯がぼんやりと光る。辺りは、秋の虫の音が響いていた。【30周年キャンペーン】今なら2カ月間無料で有料記事が読み放題!詳しくはこちらこんな特集も注目ニュースが1分でわかるニュースの要点へ11月12日 (水)殺傷力ある武器、輸出拡大へ俳優の仲代達矢さん死去 92歳Suicaのペンギンが「卒業」へ11月11日 (火)議員定数削減、自維で温度差米政府機関の閉鎖、解除へ減る東京の農地 都が支援に力11月10日 (月)NHK党の立花容疑者を逮捕葬儀料金めぐるトラブル多発4人の遺族 米オープンAI提訴11月9日 (日)物価高対策に「おこめ券」外観要件、高裁が「違憲」クマ出没、秋の観光に打撃トップニューストップページへ立花孝志容疑者、逮捕容疑は「罪に当たらない」と主張 弁護士が接見20:41夢に行方不明の息子 父が見つめる初公判 知床遊覧船事故から3年半6:00ロシア、朝日新聞記者ら日本人30人を入国禁止 対ロシア制裁の報復7:15引っ越し関連の同業他社に顧客情報持ち出したか 法人代表ら4人逮捕5:00共食い資本主義論で読む女性首相 「99%のためのフェミニズムを」5:00射抜くような目つき、響かせる地声 舞台に生き続けた仲代達矢さん21:00