毎日新聞 2025/11/16 13:45(最終更新 11/16 13:45) 1258文字ポストみんなのポストを見るシェアブックマーク保存メールリンク印刷「八戸藩の道中双六」を出版した佐々木勝宏さん=盛岡市で2025年10月7日、奥田伸一撮影 200年前のすごろくは地域情報の宝庫だった――。江戸時代後期に八戸藩(現在の青森、岩手両県)の商人が藩主の参勤交代を基に作ったすごろくの解説本が出版された。一行が現在の青森県八戸市と東京を往復する際に同行した商人が作ったものを、元岩手県立博物館学芸員、佐々木勝宏さん(64)=盛岡市=が解読した。 書名は「八戸藩の道中双六(すごろく)」。佐々木さんは「商人の目で見た農業や経済に関する情報や感想がたくさん盛り込まれている」と話す。Advertisement すごろくの作者は、八戸藩屈指の商人で武士の身分も持ち、俳人でもあった三峰館寛兆こと七崎屋松橋宇助(生没年不詳)。製作年は不明だが、マスに記された内容などから、佐々木さんは天保年間(1830~44年)に得た情報を基に作られたとみている。 参勤交代は、江戸時代に各地域を治めていた藩主が1年おきに地元と江戸(東京)を往復した制度。八戸藩は現在の青森、岩手、宮城など1都7県にまたがる約660キロを行き来していた。佐々木勝宏さんが解説本を書いたすごろく。正式名称は「風流新板東山道八戸与里江戸迄凡百驛百六十九里道中雙六」という=青森県八戸市立図書館所蔵 すごろくの正式名称は「風流新板東山道八戸与里江戸迄凡百驛百六十九里道中雙六」。縦約125センチ、横約110センチで、道中で宿泊や荷役の拠点だった宿場ごとに計101マスを設け、各地の特徴を捉えた自作や他の俳人の句、風景などの絵を描き、寛兆が見聞きした事柄を記したとみられる。 「看板も光る命や薬玉」 現在の岩手県南部、奥州市から一関市を通過するマスに書かれた一首には、この地域で知られた薬屋の看板を詠んだ句が添えられている。薬屋が扱ったのは秋田、宮城でも薬効が知られた整腸剤とみられる。佐々木さんは「この句は看板と薬効の両方を褒めたのではないか」と考える。 宮城県北部の大崎市を通るマスにはこんな一首が書かれている。 「陸奥殿の金蔵見える青田かな」 寛兆が暮らした八戸藩は小規模なうえ、冷涼な気候でコメの凶作に悩まされていた。青々とした田を目にして、黄金色に実る稲穂を想像しながら、財宝が入った蔵を思い浮かべたのではないか――。佐々木さんは「寛兆は目の前の光景が『ドル箱』に見えたのではないか」と想像する。 佐々木さんは2023年初め、八戸藩16代当主でこのすごろくの普及に取り組む南部光隆さん=埼玉県=の講演に同席した。その経験から「多くの人に関心を持ってほしい」と解説本の執筆を決意。2年がかりで書き上げ、5月末に出版した。 学芸員時代からさまざまな史料に接してきたが、専門は江戸時代ではなく奈良から平安時代初期の政治史で、俳句も畑違い。しかし国文学の研究者の論文や人名事典、江戸時代を代表する俳人の松尾芭蕉や小林一茶に関する書物などを参考に、すごろくに書かれた内容を解釈した。佐々木さんが出版した「八戸藩の道中双六」には各マスに添えられた俳句や句の解説などが書かれている=岩手県釜石市で2025年11月12日、奥田伸一撮影 佐々木さんは「各マスには水利の良さや各地の産物に関する記述があった。寛兆は八戸藩士に参勤交代で通る地域の情報を伝えると共に、自分の教養も誇示したかったのでは」と思いを巡らせる。 「八戸藩の道中双六」はA5判、204ページ。3300円(税込み)。通販サイトのアマゾンで購入できる。【奥田伸一】あわせて読みたいAdvertisement現在昨日SNSスポニチのアクセスランキング現在昨日1カ月アクセスランキングトップ' + '' + '' + csvData[i][2] + '' + '' + '' + listDate + '' + '' + '' + '' + '' + '' } rankingUl.innerHTML = htmlList;}const elements = document.getElementsByClassName('siderankinglist02-tab-item');let dataValue = '1_hour';Array.from(elements).forEach(element => { element.addEventListener('click', handleTabItemClick);});fetchDataAndShowRanking();//]]>