毎日新聞 2025/7/27 06:01(最終更新 7/27 06:01) 有料記事 1639文字ポストみんなのポストを見るシェアブックマーク保存メールリンク印刷太平洋戦争中に父巍さんが送った手紙を手にする佐々木寛子さん=京都府宇治市で2025年4月17日午後1時55分、太田裕之撮影 太平洋戦争末期、日本軍が軍事拠点とした島々では守備隊の壊滅が相次いだ。 そうした激戦地から兵士が出した私信が残るケースは少ない。今回確認された、硫黄島(東京都小笠原村)で戦死した佐々木巍(たかし)さんが内地の留守家族に送った大量のはがきと手紙からは、最前線で兵士がどんな思いで日々を過ごしていたかや、留守家族の暮らしぶりが明瞭に読み取れる。 <関連記事> 硫黄島からの手紙、検閲かいくぐり家族へ 遺族保管の17通 初公開娘の成長ぶりを楽しみに 巍さんの妻、愛さんと長女の寛子さん(81)に宛てられた手紙とはがきで、寛子さんの手元に残るのは計17通。発着日のほか、受け取った愛さんが記したと見られる「第○信」の記載などから、発送時期がおおむね分かる。 第2信を除き、寛子さんに関する記述が確認できる。「第1信」は出征直後の1944年6月25日。発信地は甲府だった。生まれて間もなく離れ離れになった娘を思ってか、2文目に早速「寛は元気ですか」とある。 一部を除き、ほとんどが横書きで、親戚きょうだいへのあいさつ、牧師をしていた教会や園長を務めていた幼稚園・保育園の運営に関する心配…この記事は有料記事です。残り1150文字(全文1639文字)あわせて読みたいAdvertisementこの記事の筆者すべて見る現在昨日SNSスポニチのアクセスランキング現在昨日1カ月アクセスランキングトップ' + '' + '' + csvData[i][2] + '' + '' + '' + listDate + '' + '' + '' + '' + '' + '' } rankingUl.innerHTML = htmlList;}const elements = document.getElementsByClassName('siderankinglist02-tab-item');let dataValue = '1_hour';Array.from(elements).forEach(element => { element.addEventListener('click', handleTabItemClick);});fetchDataAndShowRanking();//]]>