「自分なら戦争協力せずにいられたか」 彫刻史の「空白」に迫る表現者

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毎日新聞 2025/7/27 14:00(最終更新 7/27 14:00) 有料記事 3565文字ポストみんなのポストを見るシェアブックマーク保存メールリンク印刷「うえだのためのプラクティス」(2025年)の一場面=広島市南区で2025年6月21日、山田夢留撮影 「それはもう戦争はいいもんじゃないですけど、まさかあんな結末になるとは思いもしなかったというか……」 画面の中の「ヤギ」が、第二次大戦中、彫刻家として戦意高揚に協力した自らの過去を振り返る。終始淡々とした口調は、妙にリアルだ。 日本の彫刻史において、戦時下は長く「空白期」とされてきた。果たして本当にそうだったのか。戦後80年の今、当時の創作を追い、「空白」に目を凝らす表現者がいる。 <主な内容> ・「自分は戦争協力せずにいられるか」 ・小田原のどかさん「学ぶな」と言われ ・「多様な意見が衝突する時代」の彫刻平和の「ヤギ」と「軍神」 広島市現代美術館で開催中の企画展「被爆80周年記念 記憶と物」(9月15日まで)に出品された映像作品「うえだのためのプラクティス」。近現代の彫刻家をテーマに映像作品を手がけているアーティスト、黒田大スケさん(43)が制作した。 作品や人物のリサーチをもとに、その彫刻家になりきり、即興で演じている。その際、彫刻家と関連する動物を顔に描く。ビジュアルも脱力感あふれる口調もユーモラスなのだが、その多くは戦争に協力した彫刻家の姿を映す。 「うえだの……」で取り上げたのは、広島県呉市出身の彫刻家、上田直次(1880~1953年)。「平和の心情」を表したいと追求したヤギのモチーフで名を成したが、時代が戦争へ向かうと、軍人らの肖像を手がけた。 企画展では黒田さんの作品と同じ章に、上田の作品が2点展示されている。一つはヤギの親子像「愛に生きる」(31年、8月13日からは「山羊」に展示替え)。もう一つは「杉本五郎像」(38年)だ。 日中戦争で「皇居方向に挙手敬礼したまま絶命」する壮絶な最期を遂げたとされる杉本五郎中佐は、軍神とあがめられた。書簡を集めた『大義』が死の翌年に出版されると、ベストセラーに。銅像は同じ年に作られ、43年の金属回収令により供出されたことになっていたが、戦後、軍関係の倉庫で発見。現在は広島県立美術館に収蔵されている。 正反対に見える上田の表現だが、当時の彫刻家としては珍しくない。資料を調べた黒田さんの印象も「彫刻家に職人的な意識が残っていた時代の、素朴な人という感じ」。 「うえだの…」で「ヤギばっかり作って生きていけたらいいんですけど、実際にはお金も要るし、家族もある」と述べるヤギは、映像の最終盤、「彫刻家とか芸術家とかいうのはそういうもんで、戦争とはほど遠いイメージがあるけれども、実際にはそこに深く関わっているということはあるんです」と語る。その口調は、どこか人ごとですらある。「空白期」に作られていたもの 黒田さんは高校から彫刻科で学び、広島市立大に進んだ。人体彫刻ばかりをたたき込まれる日本の専門教育に疑問を抱いたことがきっかけで、近代日本における彫刻の成り立ちや歴史に目を向けるように。そこで行き当たったのが「空白」の時代だった。 「芸術」の一ジャンルとしての「彫刻」は、明治後期、絵画に少し遅れて西洋からもたらされた。大正から戦前にかけ、伝統的な木彫とロダンに影響を受けたブロンズ彫刻を二つの大きな流れとして発展。戦後は抽象彫刻が花開いた――。近現代彫刻史はこう概説されることが多く、戦前と戦後には断絶があるかのように語られてきた。 ところが調べてみると、戦時下は空白期などではな…この記事は有料記事です。残り2185文字(全文3565文字)【時系列で見る】関連記事あわせて読みたいAdvertisementこの記事の特集・連載この記事の筆者すべて見る現在昨日SNSスポニチのアクセスランキング現在昨日1カ月アクセスランキングトップ' + '' + '' + csvData[i][2] + '' + '' + '' + listDate + '' + '' + '' + '' + '' + '' } rankingUl.innerHTML = htmlList;}const elements = document.getElementsByClassName('siderankinglist02-tab-item');let dataValue = '1_hour';Array.from(elements).forEach(element => { element.addEventListener('click', handleTabItemClick);});fetchDataAndShowRanking();//]]>