毎日新聞 2025/7/31 09:15(最終更新 7/31 09:15) 1003文字ポストみんなのポストを見るシェアブックマーク保存メールリンク印刷全長184センチのB29の主脚を発見した高橋大輔さん=秋田県男鹿市で2025年6月(本人提供)写真一覧 終戦直後の1945年8月28日に秋田県男鹿市の山中で墜落した米軍爆撃機B29の機体の中央部の支柱である「主脚」を秋田市在住の探検家、高橋大輔さん(58)が発見したと発表した。7月29日に秋田県庁で記者会見し、こうした史実を後世に伝えることや、平和教育の一助として利用する大切さを訴えた。 高橋さんによると、このB29は花岡鉱山(大館市)にあった連合軍の捕虜収容所に向けて補給物資の輸送中に濃霧に見舞われ、男鹿市にある本山(標高715メートル)の中腹に激突して炎上。12人の乗組員のうち11人が死亡した。Advertisement記者会見する探検家の高橋大輔さん(中央)ら=秋田県庁で2025年7月29日、工藤哲撮影写真一覧 本山のふもとにある加茂青砂集落の住民が集落をあげて捜索し、生き残った当時19歳の乗組員、ノーマン・マーチンさんを救出。加茂青砂尋常小学校で手当てをした。その後マーチンさんは秋田市と能代市で過ごし、迎えの米軍機に乗ってサイパン島の基地に戻った。 マーチンさんは1990年に男鹿ロータリークラブなどの招待を受けて再来日。本山9合目には遭難の慰霊標が建立され、同クラブは毎年慰霊祭を実施している。秋田県男鹿市の本山で見つかったB29の油圧パイプ(左端)などの機体の一部=県庁で2025年7月29日、工藤哲撮影写真一覧 高橋さんは「機体の一部が山中に残されている」と知人から知らされて2019年から現地調査を開始した。現場周辺は国有林に指定されていることなどから関係省庁の許可を得て、機体が映った写真から地理的な特徴を読み取り、戦史研究者からもらった資料を基に墜落地点を絞り込んだ。金属探知機なども使い、16回目の調査で金属片を見つけた。米国の博物館に問い合わせたところ、B29の油圧パイプに違いないとの回答を得た。 高橋さんはこうした経緯を地元の男鹿市長にも報告している。これまでに墜落現場付近で29回調査し、今年6月には全長184センチの鉄柱を発見した。米国の博物館に確認したところ、B29の主脚と判明した。その後の朝鮮戦争によって金属の需要が高まり、機体の多くが当時回収された可能性もあるという。秋田県男鹿市の本山で墜落したB29の酸素ボンベの一部(左)や窓ガラス=県庁で2025年7月29日、工藤哲撮影写真一覧 高橋さんは会見で「戦争の風化が懸念される中、当時を知る人の話による『記憶』から証拠物や現場などの『記録』によって戦争の実態を伝える一つの転機になり得る」と指摘。「当時地元では『敵国兵を救う必要はない。殺してしまえ』という声もあった中で住民が救出し、米国への帰国につながった日米親善の象徴的な存在でもある」とし、保護や活用に向けた行政の取り組みに期待した。今後は墜落地点を含めた機体の保全などが課題になるとしている。【工藤哲】あわせて読みたいAdvertisement現在昨日SNSスポニチのアクセスランキング現在昨日1カ月アクセスランキングトップ' + '' + '' + csvData[i][2] + '' + '' + '' + listDate + '' + '' + '' + '' + '' + '' } rankingUl.innerHTML = htmlList;}const elements = document.getElementsByClassName('siderankinglist02-tab-item');let dataValue = '1_hour';Array.from(elements).forEach(element => { element.addEventListener('click', handleTabItemClick);});fetchDataAndShowRanking();//]]>