尺八でハイドンの「ロンドン・トリオ」を奏でるジョン・海山・ネプチューンさん=千葉県鴨川市で2025年12月16日午後12時5分、中村聡也撮影写真一覧 日本で暮らす外国出身者が増えている。千葉県内でもスポーツ、芸能、学術、サービス業などさまざまな分野で活躍している。どうして日本に来て、何を目指しているのか。それぞれの物語を追った。 スピーカーからフルートとチェロの明るく軽快な旋律が流れる。「交響曲の父」と呼ばれるハイドンの代表曲「ロンドン・トリオ」だ。Advertisement 重ねるように、尺八奏者のジョン・海山・ネプチューンさん(74)は少しざらついた尺八の高音を鳴らした。 「尺八には練習曲が多くないので、クラシック音楽で練習しています。指を動かしながら幅広い音色が奏でられ、楽しく演奏できます」 来日して半世紀。長年使い込んだ愛器は、指で押さえる穴あたりが黒ずんでいる。 窓の外では、風を受けて竹の葉が穏やかに揺れていた。のどかな田園風景が広がる鴨川市。竹やぶに囲まれた自宅でネプチューンさんは暮らしている。始まりは1枚のレコード 米西部カリフォルニア州オークランド生まれ。趣味のサーフィンに没頭したくてハワイ大学に進学した。そこで民族音楽を専攻し、19歳で尺八と出合った。ジョン・海山・ネプチューンさん=千葉県鴨川市で2025年11月18日午後0時27分、近藤卓資撮影写真一覧 「偶然手にしたレコードに尺八の楽曲が収録されていました。衝撃でした。フルートのような繊細な高音からサックスのような枯れた低音まで。尺八では多彩な音色を奏でることができます」 本格的に尺八を学ぼうと決意し、1972年に初来日。京都にある国内最大流派の一つ、都山流の門をたたいた。50人以上の弟子がいる中で、唯一の外国人だった。 「師匠が吹く音を再現するのが練習の基本でした。でも、良い音が出ないと次を教えてくれなかった」 狭い風呂なしのアパート生活。心が折れかけた時もあったが、自らを奮い立たせ毎日4時間以上練習に励んだ。指にタコができると、ばんそうこうを貼った。 一時帰国して大学を卒業すると、再び京都に戻る。練習を重ねて76年に師範免許と「海山(かいざん)」の雅号を取得した。渋い顔のベテラン だが、伝統を重んじる尺八の世界は当初、ネプチューンさんをすんなり受け入れなかった。演奏会に出演すると、最前列のベテラン演奏者たちに渋い顔をされた。 それでも「私が目指しているのは最高の演奏をすること。だから周囲の声は気にしなかったです」 拠点を京都から東京に移し、レコード会社と契約して本格的な楽曲製作を始めた。伝統的な尺八の枠を越え、ジャズピアノやベース、インドの打楽器「タブラ」などさまざまな楽器との共演に踏み出す。「尺八を続けると面白いフレーズが次々と浮かんできました。だから、いろいろな音楽とコラボレーションしたいと思ったのです」 79年以降、レコードやCDを20枚以上制作し、収録曲は200曲を超える。80年に発表したジャズが基調のLPレコード「バンブー」は、文化庁芸術祭優秀賞を受賞した。 尺八製作にも情熱を注いだ。通常のものより穴を大きくして、多彩な音色が出せる尺八を開発した。周囲はこれを「ターボ尺八」と呼んだ。涙した高齢女性尺八でハイドンの「ロンドン・トリオ」を奏でるジョン・海山・ネプチューンさん=千葉県鴨川市で2025年12月16日午後12時10分、中村聡也撮影写真一覧 「頭の中にある理想の音」を追求し、聴衆に届けてきた。その中で、忘れられない出来事がある。 2006年ごろに埼玉県の老人ホームで開いた演奏会だ。尺八の伝統曲「鶴の巣籠(すごもり)」を奏でると、急に高齢女性が「あー」っと大きな声を発した。 最初は状況が理解できなかったが、周りの人が涙を流しているのに気付いた。聞くと、この女性は家族や親戚が話しかけても約3年無反応だったという。 その時以来、こう考えるようになった。「私が日本人の心を持っているかは分かりません。けれど、尺八には人の心を動かす力があります」【中村聡也】