埋もれた福島の歴史を次世代に 市民が集った3軒の「偕楽亭」

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毎日新聞 2026/1/4 16:45(最終更新 1/4 16:45) 1178文字ポストみんなのポストを見るシェアブックマーク保存メールリンク印刷立礼席に仕上げのニスを塗るワークショップで、参加者に語り掛ける照井寿美子さん(中央)=福島市杉妻町の紅葉山公園で2025年11月30日午後2時23分、錦織祐一撮影 「こんなに良いところがあるのに、市民の皆さんにはほとんど知らされていない。もったいないですよね」 昨年11月30日。見事に紅葉した木々、目の前を流れる阿武隈川の水面に反射する柔らかい陽光――。県庁横に広がる紅葉山公園(福島市杉妻町)を、市民有志でつくる「WABUNKAふくしま」の副代表、赤塚礼子さんが案内してくれた。 県庁の周辺は福島城跡で、公園はかつてこの地を治めた旧福島藩主・板倉家が二の丸に整備した大名庭園「偕楽園」だった。茶室もあったと伝えられることから、この地の魅力を広く知ってもらおうとこの日、「WABUNKAふくしま」が「茶の湯会」を開催したのだ。城跡に建つ「板倉神社」の会館を活用して4回開催した茶会はすべて満席となり、多くの人の輪が生まれた。Advertisement 茶の湯会の開催には、大きな狙いがあった。福島の人々が集った3軒の「偕楽亭」の歴史を紡ぎ直し、人々をつなぎ、次代にもつないでいくことだ。志賀マサさん=WABUNKAふくしま提供 1軒目は板倉家の茶室。2軒目は、明治維新後に公園となった近くで昭和初期まで営業していた料亭だ。旧二本松藩士の娘、志賀マサさん(1876~1936年)が料亭「松葉亭」(現在の杉妻会館)の仲居として働いてためた資金を元手に1908(明治41)年に料亭を起業し、板倉家の茶室にちなんで「偕楽亭」と名付けた。 福島市の中心部を流れる阿武隈川沿いは「隈畔(わいはん)」と呼ばれる景勝地で、デートスポットとしてもにぎわったという。料亭は市民から愛され繁盛したが、後継ぎがいなかった。志賀さんは遺言で「市民の憩いの場に」と土地・建物を福島市に寄贈。市は集会場として活用したが老朽化で70年に取り壊された。水面が輝く阿武隈川の河畔を案内する赤塚礼子さん=福島市杉妻町の県庁で2025年11月30日午後2時11分、錦織祐一撮影 3軒目は、市が志賀さんの足跡を残そうと料亭にちなんで旧市民会館(同市霞町)に73年に再現した茶室だ。こちらも長年市民に親しまれたが老朽化で昨年1月に閉館した。 福島で連綿と続いた「偕楽亭」の歴史を自分たちの街の魅力の再発見につなげたい――と市民有志が23年11月から活動をスタート。文献を探し出して埋もれた史実を掘り起こし、まち歩きで紹介。紙芝居やすごろくも作り、公園付近の「おそうじ会」も毎月開く。 解体された旧市民会館の茶室の部材や、保管されていた志賀さんの料亭の柱2本を市から譲り受け、柱は板倉神社に奉納。茶室の部材からは、椅子で点前をするための「立礼(りゅうれい)席」を市内の建設会社が作ってくれた。持ち運びができ、各地に出向いて活動のPRを目指す。 昨年11月の茶の湯会では、完成した立礼席にニスを塗って仕上げるワークショップもにぎわった。代表の照井寿美子さんは「福島城や偕楽亭は『終わった歴史』ではなく、福島の街の原点。こうして皆さんが再び集まる場所となることで、一緒に学び、守り、伝えることで、歴史と文化を未来につなぎたい」と見据える。【錦織祐一】あわせて読みたいAdvertisement現在昨日SNSスポニチのアクセスランキング現在昨日1カ月アクセスランキングトップ' + '' + '' + csvData[i][2] + '' + '' + '' + listDate + '' + '' + '' + '' + '' + '' } rankingUl.innerHTML = htmlList;}const elements = document.getElementsByClassName('siderankinglist02-tab-item');let dataValue = '1_hour';Array.from(elements).forEach(element => { element.addEventListener('click', handleTabItemClick);});fetchDataAndShowRanking();//]]>