納豆日本一に輝いた「ミドリヤ」の村上未奈さん=郡山市冨久山町の同社で2025年6月20日、根本太一撮影 両親の背を見ながら納豆作りを極めようとする女性がいる。昨年、納豆の日本一を決める全国鑑評会で最高賞を受賞した有限会社「ミドリヤ」=福島県郡山市富久山町=の4代目候補、村上未奈さん(29)。「たかが納豆」と言うなかれ。庶民の味方は奥が深いのだ。【聞き手・根本太一】 ――昨年11月に大阪市であった鑑評会では審査員を務めました。 ◆納豆の業界も男性が多く、そんな中で女性の意見も不可欠だという審査会の判断で、初めて末席に座ることになりました。タレはかけず、糸の引き具合などの見た目や香り、味と食感を5点満点で格付けしていきます。「おいしいと思った品に良い点を付けて」と言われ肩の力は抜けましたが、担当した「小粒・極小粒」部門には64点も出品されていて、しまいには舌の感覚が分からなくなり……。どの品も、レベルが高かったですね。Advertisement ――そもそもですが、納豆はどうやって作るのですか?写真はイメージ=ゲッティ ◆製造ラインで使う部品を熱湯消毒してからセットし、重さ60~120キロの大豆を圧力釜で蒸します。蒸し上げたら、純粋培養した納豆菌を適度に薄めて吹き付けます。次に、逆ピラミッド型の大きな器に移し、揺らしながら先端の穴から大豆を真下に落とします。ベルトコンベアー上を流れるプラスチック製パックや紙カップに詰めていくわけです。 ――ライン生産なんですね。 ◆でも、たまに豆の落ちが悪かったり、逆に落ちすぎてしまう時もあったりして、パック詰めの量の加減が難しい。最初は感覚をつかむのが大変でした。 大豆は「生き物」なんですね。蒸す時間も産地や種類、年ごとに違うし、蒸す前にひと晩ほど水につける際の水の温度も、夏と冬とでは変わります。うちは大手メーカーのような自動空調設備はないので、手動の室温調節も大切な要素。されど納豆なんですよ。 ――そうした繊細な工程で納豆はでき上がるのですね。 ◆いえ、まだ納豆菌は眠った状態です。ひと晩「むろ」と呼ぶ発酵室で過ごさせると目覚め、ネバネバ状になるんです。発酵することでアミノ酸ができ、大豆の甘み・うまみを引き出す。ひきわりは豆を砕くので表面積が広がり、丸ごとの豆よりも発酵が進みます。 ただ、発酵し過ぎるとアミノ酸が結晶化して表面に白い透明な斑点の粒が現れ、においもキツくなっていきます。まあキツいというのは好みですけど。 ――納豆づくりに取り組むことは元々目指していたのですか? ◆うちは1953年創業で、父の村上利勝(63)が3代目の社長、母の小枝子(さえこ)(61)が工場長、私の他に従業員4人の小さな会社です。学校給食にも納入していたので、同級生から「納豆おいしいね」と言われたのは今もうれしい記憶です。 私は3姉妹の次女で、染色デザイナーを夢見て東京の大学に進みましたが、就活中に「来ないか」と工場長から声を掛けられて。運命みたいなものを感じたんですね。磐梯熱海の温泉街や病院、百貨店、スーパーなど、お客様に恵まれ誇りに思います。 ――毎日忙しいでしょう。 ◆やはり大豆の機嫌で発酵の進み具合も変わるなど、日々微妙な差があり、昨日の納豆と今日の納豆では味が違います。午前6時前に出勤し、職人として、工場のエアコンの温度や水につける時間など毎日データを記録しています。 ――そうして鑑評会で日本一に。 ◆実は、工場長は納豆をそれほど好きではないんです(笑い)。「好きじゃない人にも食べやすいようににおい控えめ、うまみ強めに」と工夫したんです。1番にはなりましたがわずか1点差でした。過去にも5回の入賞があって、全て東日本大震災の後でしたから、社長は「頑張る福島を全国に見せられる」と喜んでいました。 ――将来に向けた抱負は何でしょうか。 ◆県産の大豆を使いたいですね。現在は米国産と北海道産です。納豆に適した糖質高めの作付けを農家さんに頼んでいたのですが、震災で幻になったそうです。以前は各家庭で納豆を作っていたわけで、地元企業として、大手と差別化を図るためにも地域に根付く納豆を作りたいですね。記者の一言 毎朝、ラッパを鳴らし原付バイクで自宅近くに売りに来る納豆屋さんから稲わら納豆を買うのが、小学生のころの日課だった。郡山市内にも数十軒の納豆会社があったようだが、大手メーカーに押されて現在は県内で4社のみという。スーパーなどではついつい値段で選んでしまいがちだが、やっぱり良い納豆は豆がうまい。村上未奈(むらかみ・みな)さん 1995年郡山市生まれ。あさか開成高、文化学園大造形学部を卒業し2018年入社。目標は工場長の「勤勉さ」という。趣味はドライブで、休日は浜通りで海を見ながら海鮮料理を食べる。