残像1945毎日新聞 2025/7/23 11:00(最終更新 7/23 11:00) 483文字ポストみんなのポストを見るシェアブックマーク保存メールリンク印刷「旧陸軍板橋火薬製造所」跡地に残された弾道検査管。周辺にはマンションや大学などが建ち、時代の流れを感じさせる=東京都板橋区で2025年6月30日、平川義之撮影 大学や病院、マンションが建つ東京都板橋区の一角に、戦争遺構が今もひっそりと残る。戦時中に火薬の研究や製造を行った「旧陸軍板橋火薬製造所」だ。 製造所は1876(明治9)年に完成した。1904(同37)年に始まった日露戦争では、火薬の増産体制が求められ、敷地を広げて設備を拡充。第二次世界大戦が終わる45年まで使用された。Advertisement 敷地内には「弾道検査管」などが保存されている。火薬の種類や量を変え、弾丸の発射速度などを測定する管はコンクリート製で、長さは10メートルを超える。また、近くには火薬貯蔵室や燃焼実験室だったとされる建物が並ぶ。 戦後は米軍に接収されたが、空襲で大きな被害を受けた教育・研究機関などが代替施設として再利用を希望した。跡地には、東京家政大学や野口研究所などが移転。日本初のノーベル賞受賞者で物理学者の湯川秀樹氏も一時期、移転した理化学研究所で研究している。 製造所跡は2017年、日本の近代化の歴史を知る遺構が今も残るとして、国の史跡に指定された。管理する板橋区は、29年度をめどに遺構を保存・活用した史跡公園にすることを目指している。【平川義之】【前の記事】都会に残る戦跡 朽ちた弾道検査管や銃器庫 東京・板橋関連記事あわせて読みたいAdvertisementこの記事の特集・連載現在昨日SNSスポニチのアクセスランキング現在昨日1カ月アクセスランキングトップ' + '' + '' + csvData[i][2] + '' + '' + '' + listDate + '' + '' + '' + '' + '' + '' } rankingUl.innerHTML = htmlList;}const elements = document.getElementsByClassName('siderankinglist02-tab-item');let dataValue = '1_hour';Array.from(elements).forEach(element => { element.addEventListener('click', handleTabItemClick);});fetchDataAndShowRanking();//]]>