毎日新聞 2025/7/24 07:15(最終更新 7/24 07:15) 767文字ポストみんなのポストを見るシェアブックマーク保存メールリンク印刷模擬原爆の解説板が設置されるしじゅうから第二公園=東京都西東京市で2025年7月11日、鮎川耕史撮影 東京都の西東京市教育委員会は、戦争末期に同市に投下された「模擬原子爆弾」の解説板を着弾地点の近くに設置する。戦後80年の節目に、市民が犠牲になった戦禍を伝える取り組みで、模擬原爆をテーマにした講演会も開く。 解説板は模擬原爆が落とされた事実やその被害を伝えるもので、月内にも着弾地点の近くにある「しじゅうから第二公園」(同市柳沢1)に設置する。Advertisement 模擬原爆は、原爆の投下訓練を目的に米軍が使用した爆弾。核物質は積んでおらず、通常の爆薬が詰められていた。長崎に投下されたプルトニウム型原爆「ファットマン」とほぼ同じ形状で、黄色に塗装された外観から「パンプキン爆弾」とも呼ばれた。1945年7~8月、日本各地に計49発が落とされ、400人以上が死亡したとされる。 そのうちの一発が7月29日、現在の西東京市に落とされた。戦闘機などのエンジンを作っていた中島飛行機武蔵製作所を狙ってB29爆撃機から投下され、目標を外れて着弾。当時一帯はジャガイモ畑で、3人の女性が死亡したと伝えられる。 市民グループ「西東京に落とされた模擬原爆の記録を残す会」(西田昭司事務局長)が発行した冊子には、同会が聞き取った遺族の男性の証言が記録されている。それによると、男性の姉が畑で腹から血を流して倒れているのが見つかり、「痛いよう、痛いよう」と言っていた。通りかかったトラックで病院に運ばれたが、背中から腹に貫通したけがのため亡くなったという。 講演会は8月2日に柳沢公民館で開催。武蔵野の戦争遺跡を研究している牛田守彦・法政大学中学高等学校教諭らが講演する。 今回の解説板の設置は、同会の要望を受け市教委が計画を進めていた。西田事務局長は「日本で再び戦争が起きることのないよう、多くの若い人に悲惨な歴史への関心を持ってもらいたい」と話している。【鮎川耕史】【時系列で見る】関連記事あわせて読みたいAdvertisementこの記事の特集・連載現在昨日SNSスポニチのアクセスランキング現在昨日1カ月アクセスランキングトップ' + '' + '' + csvData[i][2] + '' + '' + '' + listDate + '' + '' + '' + '' + '' + '' } rankingUl.innerHTML = htmlList;}const elements = document.getElementsByClassName('siderankinglist02-tab-item');let dataValue = '1_hour';Array.from(elements).forEach(element => { element.addEventListener('click', handleTabItemClick);});fetchDataAndShowRanking();//]]>