ヒバクシャ毎日新聞 2025/7/23 05:00(最終更新 7/23 05:00) 有料記事 1509文字ポストみんなのポストを見るシェアブックマーク保存メールリンク印刷森滝市郎さんについて語る次女の春子さん=広島市佐伯区で2025年6月10日午後1時51分、佐藤賢二郎撮影 核実験が実施されるたびに平和記念公園(広島市中区)の原爆慰霊碑前で座り込みを続けた哲学者がいた。被爆者運動と原水爆禁止運動に半生をささげ、「反核の父」と呼ばれた森滝市郎さん(1901~94年)だ。シャツにネクタイ姿で背筋をしゃんと伸ばし、静かに座る姿は威厳に満ちていた。「核と人類は共存できない」。森滝さんが残した言葉は今なお、核廃絶運動に取り組む人々の原動力となっている。 「(抗議の座り込みで)慰霊碑を背にするのは、逝った被爆者たちの魂を背負っているからと聞きました。しかし、父らの訴えは実現していない」。次女の春子さん(86)=広島市佐伯区=はそう語る。 森滝さんが晩年まで訴えた、核兵器などの軍事利用だけでなく原発などの平和利用も認めない「核絶対否定」の理念は遠のいたまま。森滝さんが初代理事長を務めた日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)が一貫して求める原爆被害への国家補償も実現していないからだ。 45年8月6日、広島高等師範学校(現広島大)教授だった森滝さんは、爆心から約4キロの広島市江波町(現中区)の造船所で、勤労動員学徒を引率していた際に被爆。爆風で飛び散ったガラス片が右目に突き刺さり、失明した。 春子さんには忘れられない体験がある。…この記事は有料記事です。残り979文字(全文1509文字)【時系列で見る】【前の記事】「一度決めたことは最後まで」 空っぽの弁当を持ち歩いた男の信念関連記事あわせて読みたいAdvertisementこの記事の特集・連載この記事の筆者すべて見る現在昨日SNSスポニチのアクセスランキング現在昨日1カ月アクセスランキングトップ' + '' + '' + csvData[i][2] + '' + '' + '' + listDate + '' + '' + '' + '' + '' + '' } rankingUl.innerHTML = htmlList;}const elements = document.getElementsByClassName('siderankinglist02-tab-item');let dataValue = '1_hour';Array.from(elements).forEach(element => { element.addEventListener('click', handleTabItemClick);});fetchDataAndShowRanking();//]]>