「非核の港」を誓った神戸港 50年目に米軍艦船が入港した背景

Wait 5 sec.

毎日新聞 2025/9/12 18:01(最終更新 9/12 18:01) 有料記事 3445文字ポストみんなのポストを見るシェアブックマーク保存メールリンク印刷米艦船の入港に抗議する市民ら=神戸市灘区の神戸港・摩耶埠頭で2025年3月24日、鵜塚健撮影 半世紀にわたり、外国艦船が入港する際には「非核証明書」が必要とされてきた神戸港に3月、米軍艦船が証明書なしで入港した。神戸市によると、米側に提出を求めたが、最後まで提出されなかった。それでも、①一般的な政策として米軍の艦船は核兵器を搭載していない②掃海艦は一部木造で核の搭載は不可能③外務省が「核は搭載していない」と判断している――の3点を踏まえ、入港を認めたという。反核の機運が高まる中で 全国でも異例の「非核神戸方式」が導入された背景には何があったのか。 広島、長崎への原爆投下を経験した日本は戦後、高度経済成長を遂げ、改めて非核平和を誓った。1967年、佐藤栄作首相(当時)は核兵器を「持たず、作らず、持ち込ませず」とする非核三原則を提唱し、71年に国会も同趣旨の決議をした。 ただ、「持ち込ませず」は何度も揺らいできた。74年、米議会でラロック米退役海軍少将が「米艦船が日本入港の際に核兵器を降ろすことはない」と証言して波紋を広げた。 これを受け、宮崎辰雄・神戸市長(当時)は、神戸港を非核の港とすると宣言。ほぼ同時期に、日本初の原子力船「むつ」が放射線漏れ事故を起こしたことも、反核の機運を高めた。 市議会は75年3月18日、「核兵器積載艦艇の神戸港入港拒否に関する決議」を全会一致で採択した。核兵器が持ち込まれれば「港湾機能の阻害はもとより、市民の不安と混乱は想像に難くない」としている。これが非核神戸方式の根拠とされる。 決議に賛成した共産党の元神戸市議、堀之内照子さん(92)は「当時は保守の議員も革新の議員も核に対する抵抗感があり、平和な港を作る点で一致していた。反対意見はなかった」と振り返る。戦争と縁が切れなかった神戸港 太平洋戦争中、神戸港は重要な軍港とされ、戦後は米軍に接収された。長く米兵が駐留し、朝鮮戦争、ベトナム戦争にもかかわった。65年、米空母タイコンデロガ号から水爆を搭載した攻撃機が沖縄近海に沈む事故が発生。この空母は60年と63年に神戸港にも入港していた。非核神戸方式の導入前は、多い年で100隻以上の米艦船が入港していた。 「朝鮮戦争当時、肉片がついた戦車が港に降ろされた」「ベトナム戦争の時、米兵の遺体が入ったコンテナが運ばれてきた」。神戸港湾関係労働組合共闘会議議長の鈴木大介さん(59)は、先輩労働者からそんな話を聞いてきた。…この記事は有料記事です。残り2457文字(全文3445文字)あわせて読みたいAdvertisementこの記事の筆者すべて見る現在昨日SNSスポニチのアクセスランキング現在昨日1カ月アクセスランキングトップ' + '' + '' + csvData[i][2] + '' + '' + '' + listDate + '' + '' + '' + '' + '' + '' } rankingUl.innerHTML = htmlList;}const elements = document.getElementsByClassName('siderankinglist02-tab-item');let dataValue = '1_hour';Array.from(elements).forEach(element => { element.addEventListener('click', handleTabItemClick);});fetchDataAndShowRanking();//]]>