毎日新聞 2025/9/11 19:43(最終更新 9/11 19:48) 937文字ポストみんなのポストを見るシェアブックマーク保存メールリンク印刷今期限りでの引退を表明した宮城県南三陸町の佐藤仁町長=同町議会で2025年9月11日午後2時44分、百武信幸撮影 東日本大震災で大きな被害を受けた宮城県南三陸町の佐藤仁町長(73)は11日の町議会で「私の使命は全て終えた」と述べ、次期町長選(10月21日告示、26日投開票)には立候補せず、11月5日の5期目の任期満了をもって引退すると表明した。14年半前の震災では防災対策庁舎で津波にのまれながらも一命を取り留め、町外への積極的な発信で町の復興の陣頭指揮を執り続けた。 佐藤氏は旧志津川町出身。同町議、町長を経て2005年に合併後初の南三陸町長に当選した。「復興の完遂が使命」と強調し、5期目を「集大成」と位置づけていた。Advertisement 定例町議会最終日のこの日、佐藤氏は議場で本会議終了のあいさつに立ち「今任期をもってこの職を辞したい」と述べると、声を詰まらせた。そして「今日は震災で奈落の底に突き落とされてから14年6カ月の月命日。831人の町民が犠牲となり、防災庁舎の屋上から見た惨状は生涯忘れることはない」と涙をこらえて続けた。全国や周囲からの支援に感謝を述べて締めくくると、議員や職員から拍手で送られ議場を後にした。今期限りでの引退を表明後、職員や議員に拍手され議場を後にする宮城県南三陸町の佐藤仁町長(中央)=2025年9月11日午後2時51分、百武信幸撮影 佐藤氏は14年半前の同じ時間帯、この日と同じように議会であいさつをしている時に震災に見舞われた。危機対応のため直ちに防災庁舎に向かったが高さ約12メートルの屋上を越える津波にのまれた。庁舎で43人が犠牲になり、助かったのは佐藤氏ら10人だけだった。 議会後の記者会見で、佐藤氏は引退を決めた理由について「復興事業が全て終了したのが一番」と説明した。住宅地を高台に移転する一方、商店街や震災復興祈念公園を旧防災対策庁舎周辺に集約し、一角に22年に震災伝承施設が完成した。また24年7月には、保存か解体かで揺れ、一時県有化されていた旧防災対策庁舎を再び町有化し、震災遺構として恒久保存を決めた。 この14年半を「防災庁舎の屋上で一晩過ごし、助かった同士『生き残った我々が再建を託されたから頑張んなきゃな』と話したのが原点。頂の見えない山を登り続けるようだった」と振り返り「肩の荷が下りた」とほっとした表情もみせた。今後は政治の世界を離れ、全国で防災講演をする考えという。 震災時から沿岸の首長を務めるのは岩手、宮城県では気仙沼市の菅原茂市長(67)のみとなった。【百武信幸】【時系列で見る】関連記事あわせて読みたいAdvertisementこの記事の特集・連載現在昨日SNSスポニチのアクセスランキング現在昨日1カ月アクセスランキングトップ' + '' + '' + csvData[i][2] + '' + '' + '' + listDate + '' + '' + '' + '' + '' + '' } rankingUl.innerHTML = htmlList;}const elements = document.getElementsByClassName('siderankinglist02-tab-item');let dataValue = '1_hour';Array.from(elements).forEach(element => { element.addEventListener('click', handleTabItemClick);});fetchDataAndShowRanking();//]]>