24色のペン毎日新聞 2025/9/15 06:00(最終更新 9/15 06:00) 有料記事 2543文字ポストみんなのポストを見るシェアブックマーク保存メールリンク印刷台湾映画「ドラゴン・スーパーマン」は台湾特撮映画の幕開けを告げた作品。原作は日本で人気を博した「まぼろし探偵」Ⓒ2024 Taiwan Film and Audiovisual Institute.All rights reserved. 台湾で古い映画の修復・保存が積極的に進められている。映画を通して台湾の複雑な歴史や文化、社会実相などが見えてくる。新たに修復された5作が大阪市で開催された「大阪アジアン映画祭」で上映された。日台映画交流史を飾る作品など、いずれも日本初公開。修復は、台湾で映画や映像の修復・保存などのアーカイブを担う「国家映画・視聴文化センター」(TFAI)が手掛けた。 作品は1960年代から70年代の台湾映画。若い女性の複雑な思いを表現した「寂寞(せきばく)十七歳」(67年)▽70年の大阪万博を舞台にジュディ・オングさんが主演した「万博追跡」(70年)▽大学受験を前に苦悩する高校生の姿を描いた「進学を拒絶した人生」(79年)――など個性派ぞろいだ。台湾特撮の幕開け告げ 特に興味深かったのが、台湾特撮映画の幕開けを告げた「ドラゴン・スーパーマン」(68年・原題「神龍飛俠(ひきょう)」)。日本の小林悟氏と台湾の邵羅輝(しょうらき)氏が共同監督を務めた。小林氏はピンク映画の製作で知られた監督でもある。 原作は、57年から日本の「少年画報」に連載された桑田次郎氏の漫画「まぼろし探偵」。謎の仮面探偵が難事件を解決するストーリーで、ラジオやテレビ番組でドラマ化され、絶大な人気を博した。日本での映画は60年に3作が製作され、その2、3作目の監督を小林氏が務めた。台湾のリメーク版も3部作で、製作はいずれも68年。本作の後に「月光大俠」「飛天怪俠」と続いた。 本作で特撮シーンは少なく、かなり粗削りな物語の展開には驚かされた。それでも日台映画人が共に特撮に挑もうと奮闘した情熱や、台湾で特撮の道を開いた作品の価値は特筆に値する。「台湾は俺を認めてくれた」 本作は8月30日、大阪市の劇場で上映され、小林氏の妻・初枝さんと修復したTFAIの褚明仁(しゃめいじん)理事長が製作秘話を語った。…この記事は有料記事です。残り1757文字(全文2543文字)【前の記事】ウナギ取引規制めぐる水産庁の主張の怪 軽視される予防原則=町野幸関連記事あわせて読みたいAdvertisementこの記事の特集・連載この記事の筆者すべて見る現在昨日SNSスポニチのアクセスランキング現在昨日1カ月アクセスランキングトップ' + '' + '' + csvData[i][2] + '' + '' + '' + listDate + '' + '' + '' + '' + '' + '' } rankingUl.innerHTML = htmlList;}const elements = document.getElementsByClassName('siderankinglist02-tab-item');let dataValue = '1_hour';Array.from(elements).forEach(element => { element.addEventListener('click', handleTabItemClick);});fetchDataAndShowRanking();//]]>