横山大観の代表作、なぜ橿原神宮に? 戦後80年の調査で来歴判明

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毎日新聞 2025/9/11 07:15(最終更新 9/11 07:15) 956文字ポストみんなのポストを見るシェアブックマーク保存メールリンク印刷横山大観「正気放光」。旧海軍の大和海軍航空隊大和基地から奉納された品と分かった=橿原市の橿原神宮宝物館で2025年9月9日午前9時31分、皆木成実撮影写真一覧 奈良県橿原市の橿原神宮所蔵で、近代日本画の巨匠・横山大観(1868~1958)の代表作「正気放光(せいきほうこう)」(縦77センチ、横120センチ)。橿原神宮の調査で、旧海軍の大和海軍航空隊大和基地(現天理市)から終戦直後に奉納された品であることが分かった。まもなく大和基地は米軍に占領されており、没収などで散逸することを防ぐ奉納とみられる。橿原神宮宝物館の企画展「神武天皇と平和への願い」で公開されている。10月25日まで。 雲海に囲まれた気品高い富士山を描いた大観の40年作品。大観は翌41年の日本美術院展(院展)に同じ「正気放光」名の別の富士山画を出品しており、それに先立つ作品と専門家から評価されている。院展出品作については大観が42年、広島・江田島海軍兵学校(当時)に寄贈している。そのため橿原神宮「正気放光」も、大観が同様に海軍へ寄贈した品だったとみられる。Advertisement 戦後80年にあたっての橿原神宮内部史料調査で、久保田昌孝宮司が社務日誌から「(45年)9月3日、海軍が横山大観の富士山画を奉納」の記述を発見した。「正気放光」は外部の展覧会に出展したこともあるが、来歴は戦後の人事異動の際も橿原神宮内部で引き継がれていなかった。旧海軍の大和海軍航空隊大和基地跡の防空壕=天理市で2025年5月9日午前10時35分、皆木成実撮影写真一覧 大和基地は海軍が飛行予科練習生(予科練)訓練施設として43年12月に開設したが、翌44年9月ごろ本土決戦基地に変更。45年夏の終戦直前には、軍最高統帥機関「大和大本営」とする計画も浮上し「大本営本部」「天皇御座所」とされる防空壕(ごう)も建設された。同日誌によると、「正気放光」を橿原神宮に持参したのは、大和基地所属だった第3航空艦隊近畿航空隊長の佐藤治三郎大佐(当時)。このすぐ1カ月後の45年10月中旬、大和基地は米軍に占領された。 橿原神宮の担当者は「国家的な名宝である大観の富士山画を散逸から守るための奉納。こうして名画が現在の平和な時代に伝わったことを知ってほしい」と話している。 企画展では他に、旧満州(現中国東北部)の皇帝・溥儀(ふぎ)から奉納された絨毯(じゅうたん)、開戦と敗戦をいずれも県知事が神前に報告した祭文(さいもん)など橿原神宮に残る戦争関連史料約50点を展示している。入館料500円。臨時休館あり。橿原神宮(0744・22・3271)。【皆木成実】【時系列で見る】関連記事あわせて読みたいAdvertisementこの記事の特集・連載現在昨日SNSスポニチのアクセスランキング現在昨日1カ月アクセスランキングトップ' + '' + '' + csvData[i][2] + '' + '' + '' + listDate + '' + '' + '' + '' + '' + '' } rankingUl.innerHTML = htmlList;}const elements = document.getElementsByClassName('siderankinglist02-tab-item');let dataValue = '1_hour';Array.from(elements).forEach(element => { element.addEventListener('click', handleTabItemClick);});fetchDataAndShowRanking();//]]>