「年だからと諦めない」 90代で歌手デビュー果たした女性の挑戦

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毎日新聞 2025/9/14 08:15(最終更新 9/14 08:15) 1077文字ポストみんなのポストを見るシェアブックマーク保存メールリンク印刷デビュー曲のCDを持つ加藤純子さん=松山市で2025年9月9日午後6時15分、広瀬晃子撮影 90代で“歌手”デビューを果たした女性がいる。松山市の加藤純子さん(94)。1970年代に活躍したフォークデュオ「ふきのとう」の代表曲を作詞した札幌市のシンガー・ソングライター、工藤忠幸さん(74)がプロデュースし、CDデビューしたのは93歳の時。まもなく95歳になるが、今も愛媛県内外で変わらぬ美声を披露し続けている。50代で右の聴力を失い、80代で大病を患った加藤さんは「90代で歌手になれると思わなかった。年だからと諦めず、これからもいろんなことに挑戦したい」と目を輝かせている。 加藤さんは松山市出身。1歳の時に両親が相次いで他界し、伯父に育てられた。幼いころよりラジオから流れる歌を聴くのが好きで、小学生時代は合唱団に所属。コンクールで県代表に選ばれたことも。女学校時代は、戦闘機の翼を製造する軍需工場に動員され、自宅を戦火で失うなど歌と無縁のつらい日々を送ったが、戦後はダンスホールで出会った男性と“大恋愛”して結婚。「自由に歌ったり踊ったりできることがうれしかった」と振り返る。Advertisementシンガーソングライターの工藤忠幸さん(右)の演奏で歌声を披露する加藤純子さん=加藤さん提供 保険会社に44年間勤務したが、55歳の時にストレスが原因で顔の右半分がまひ。右耳の聴力も失った。夫が2008年に他界してから数年間は自宅に引きこもりがちだったが、85歳の時に「若いころにしたことにもう一度挑戦したい」と社交ダンスを再開。市内のカラオケスナックにも通い始め、歌手の美空ひばりさんや八代亜紀さんらのお気に入りの曲を歌うようになった。そこで出会ったのが常連客の工藤さんだった。 工藤さんは「ふきのとう」のヒット曲「白い冬」を作詞したことで知られ、松山でコンサートがあるたびに店を訪れていた。19年に訪れた際に加藤さんの歌声を初めて聞き、「越路吹雪さんのようで魅力的な声」とほれ込み、歌手になることを勧めたという。その後はコロナ禍になり、加藤さんの足にがんが見つかるなど試練もあったが、「デビューするまで死ねない」と病気を克服。2年越しでレコーディングした末、24年にCDデビューにこぎつけた。地元インターネットラジオのDJにも挑戦する加藤純子さん=松山市で2025年9月9日午後6時20分、広瀬晃子撮影 デビュー曲は「松山 満月の夜」。「♪松山城の坂道を貴方と歩いた」などの歌詞が「夫とデートしたことを思い出す」とお気に入りだ。聴覚に障害があるため、曲が聴きづらい時もあるが、発声練習に励む日々。今後も多くの人に歌声と元気を届けることが目標だ。高いヒールでジルバを踊ったり、地元のインターネットラジオでDJにも挑戦したりしている。工藤さんは「自分が曲を提供した中で加藤さんが最年長。『高齢者の星』としてこれからも歌い続けてほしい」と期待している。【広瀬晃子】あわせて読みたいAdvertisement現在昨日SNSスポニチのアクセスランキング現在昨日1カ月アクセスランキングトップ' + '' + '' + csvData[i][2] + '' + '' + '' + listDate + '' + '' + '' + '' + '' + '' } rankingUl.innerHTML = htmlList;}const elements = document.getElementsByClassName('siderankinglist02-tab-item');let dataValue = '1_hour';Array.from(elements).forEach(element => { element.addEventListener('click', handleTabItemClick);});fetchDataAndShowRanking();//]]>