毎日新聞 2025/10/7 13:50(最終更新 10/7 13:58) 1255文字ポストみんなのポストを見るシェアブックマーク保存メールリンク印刷かつての領地に建つ田沼意次像=静岡県牧之原市で2025年5月8日午後1時45分、小出禎樹撮影写真一覧 NHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺(つたじゅうえいがのゆめばなし)~」で渡辺謙さんが演じて注目を集めた江戸中期の老中・田沼意次(おきつぐ)(1719~88年)。重商主義の改革を進めたが、老中首座となった白河藩主・松平定信に失脚させられ、失意のうちに没した。田沼家は相良(さがら)城(静岡県牧之原市)をすっかり壊され、跡継ぎの孫は所領を1万石に減らされた上で左遷された。その地は「陸奥下村藩」。実は、福島市の田園地帯だった――。 旧下村藩の陣屋跡が残るというので訪ねてみた。頼りとするスマートフォンの地図アプリ「グーグルマップ」はJR福島駅から車で十数分、東北自動車道福島西インターチェンジ近くの畑のど真ん中を指し示していた。Advertisement 近くの佐倉下集会所に車を止め、地図の地点を目指して用水路沿いを歩いていくと、こんもりとした林の中に小さな神社を見つけた。「由緒」と書かれた古びた看板があり「藩主田沼候は京都伏見稲荷を深く信仰されその分霊を陣屋の一隅に奉斎した」とあった。やはりこの辺りが旧下村藩の陣屋跡だった。 看板には、田沼家が1823(文政6)年に旧領の相良に戻れることになり、名主だった矢葺(やぶき)家がお稲荷(いなり)様を土蔵に大切に保管したこと、明治初期に地元住民が神社を建てたことが記されていた。その矢葺家の子孫が現在も近くに住んでおり、女性に話を聞かせてもらった。 女性の父の矢葺一(はじめ)さん(故人)は地域の歴史の伝承に熱心だったといい、文献を調べてあの看板を記したのだという。20年以上前には、今でも田沼意次を慕っている牧之原の住民らがバスでこの地を訪れたこともあったという。「田沼意次というと私たちは良いイメージがなかったけど、地元では違うんだと思いました」と女性は振り返る。 矢葺さんが参考にしたという文献は、県史学会が1966年に発行した「福島史学研究」らしいと女性が教えてくれた。郷土史家の長沢幸四郎さん(1894~1966年)が「下村藩(田沼領)の成立と村落」と題した論文を寄稿していた。史料を丹念に読み込み、当時は存在自体が疑われていた下村藩の実在を立証。陣屋の穀倉や、植えられていたナンテンが近くの民家に移されて現存していたことも突き止めた。旧下村藩の陣屋跡付近に建てられた神社=福島市佐倉下で2025年9月23日午後4時23分、錦織祐一撮影写真一覧 田沼意次は「べらぼう」では宮沢氷魚さんが演じた嫡男・意知(おきとも)を暗殺で失っており、意知の長男・意明(おきあき)が、それまでは宇都宮藩や会津藩などの領地だった下村を治めた。ただ、田沼家は江戸定住を幕府に命じられており、実際は奉行や代官が支配した。その奉行の墓も残っている。 田沼家は意明と弟2人らが20代で次々と早世し、5代目は彼らの叔父に当たる意次の四男・意正(1759~1836年)が継がざるを得なくなった。だが意正は将軍・徳川家斉や幕閣の評価が高く、若年寄に取り立てられ、1823年に相良への復帰が許された。下村藩は幕府直轄地となり37年の歴史に幕を閉じた。藩主が現地を訪れたことは一度もなかったとみられる。【錦織祐一】あわせて読みたいAdvertisement現在昨日SNSスポニチのアクセスランキング現在昨日1カ月アクセスランキングトップ' + '' + '' + csvData[i][2] + '' + '' + '' + listDate + '' + '' + '' + '' + '' + '' } rankingUl.innerHTML = htmlList;}const elements = document.getElementsByClassName('siderankinglist02-tab-item');let dataValue = '1_hour';Array.from(elements).forEach(element => { element.addEventListener('click', handleTabItemClick);});fetchDataAndShowRanking();//]]>