「晴れ男」と評された昭和天皇 1964年東京五輪は開会前日まで雨

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朝日新聞連載皇室365記事有料記事編集委員・島康彦2025年10月9日 13時00分河西秀哉さんのコメント男子バレーボールのルーマニア対ブルガリア戦を観戦する昭和天皇、香淳皇后。フルセットの熱戦となったこの試合を、最後まで熱心に見ていた=1964年10月、都内10月10日(1964年) 昭和天皇が東京五輪で開会宣言 1964年のこの日、東京五輪の開会式が東京・新宿の国立霞ケ丘競技場陸上競技場(現・国立競技場)であり、昭和天皇が開会宣言した。「第18回近代オリンピアードを祝い、ここに東京大会の開会を宣言します」。ロイヤルボックスには昭和天皇、その隣に香淳皇后、後列に皇太子ご夫妻(現・上皇ご夫妻)ら皇族方が並んだ。 前日までは雨だったが、開会式は晴天に恵まれた。昭和天皇はかねて「晴れ男」と評されていたが、この日も晴れたことで「天皇晴れ」と称された。重量挙げを観戦する皇太子ご夫妻(当時)=1964年10月、東京・渋谷 実は、上皇さまや、今の天皇陛下も皇太子時代は行く先々でよく雨が降り、「雨男」といわれていた。それが、即位後は好天に恵まれることが多く、私も取材現場で、曇り空だったのが、お出ましの時間帯には晴れ間がのぞいて驚くことがたびたびあった。 話を戻せば、1964年の東京五輪には、この時点で過去最多の94カ国・地域が参加。開会式で、昭和天皇は立ったまま、選手団の入場行進を見守った。周囲は休憩をとるようすすめたが、昭和天皇は「国によって差別をするのはよくない」と最後まで座らずに選手の敬礼にこたえたという。説明役を務めた組織委員会副会長(当時)の竹田恒徳氏(故人)は自著に「陛下は何事についても常に一視同仁であられる」と記した。東京五輪開会式で開会宣言する昭和天皇=1964年10月、国立霞ケ丘競技場陸上競技場(現・国立競技場) そして2021年7月。57…この記事を書いた人島康彦社会部|編集委員専門・関心分野皇室、こどもの問題、格闘技(プロレス)、演芸(落語、浪曲)関連ニュースこんな特集も注目ニュースが1分でわかるニュースの要点へ10月9日 (木)ノーベル化学賞に北川進氏アサヒ障害めぐり犯行声明生成AIの安全基準を整備へ10月8日 (水)自民党、新執行部が発足ノーベル賞 米国の研究者らに万博「運営費」黒字の見込み10月7日 (火)ノーベル賞 阪大の坂口志文氏日経平均 初の4万8100円台田園都市線 列車同士が衝突10月6日 (月)高市新総裁、党人事を調整「ごまさば」アニサキス注意世界遺産・白川郷でクマ出没トップニューストップページへガザ和平案の第1段階で合意 「まもなく人質解放」とトランプ氏発表10:51ノーベル平和賞は誰に?トランプ効果、国際援助、中東…注目点を紹介12:00「車は私の足」訴えた女性、止まった生活保護 裁判の後に残った現実9:00グッズ販売も観光も好調だったけど 将来の商機に万博は生かせたのか11:00「負け組の星」ハルウララに献花続々 競馬界のおとぎ話、いまも魅了11:00「世界の死刑の4割が薬物」が示すもの 罪と罰が映し出す国の価値観11:00