毎日新聞 2025/10/10 06:45(最終更新 10/10 06:45) 744文字ポストみんなのポストを見るシェアブックマーク保存メールリンク印刷新着資料展で、波田達郎さんが原子雲を撮ったカメラの展示を見る来場者=広島市中区の原爆資料館で2025年10月9日、佐藤賢二郎撮影写真一覧 原爆資料館(広島市中区)で2023年度に寄贈された資料を展示する「新着資料展」が9日、同館で始まった。被爆時にはいていたズボンや被爆後に家族に宛てた手紙など、遺族らが大切に保管していた資料が並んでいる。26年2月1日まで。入場無料。 同館によると、23年度は56人から計1449点の寄贈があり、このうち洋服などの実物資料39点▽写真73点▽原爆の絵14点――の計126点を展示した。 担当した高橋佳代学芸員によると、寄贈点数に大きな変化はないものの、寄贈者は被爆者や配偶者、きょうだいなどから子孫の世代に交代し、体験の継承を願って寄贈する遺族が目立つという。Advertisement 会場には、爆心地から約4・2キロの自宅で被爆した波田達郎さんがきのこ雲を撮影したカメラが展示されている。波田さんは当時16歳で、原爆により自宅の天井と壁が崩れ落ち、弟たちを抱えて庭へ飛び出した。その際、青い空に真っ白な雲が渦を巻いていたのを目撃。父から写真を撮るように言われて夢中でシャッターを押したという。新着資料展で展示されている、波田達郎さんが原子雲を撮影したカメラ=広島市中区の原爆資料館で2025年10月9日、佐藤賢二郎撮影写真一覧 また当時県立広島第一高等女学校(現・広島皆実高)1年生だった倉西美智枝さん(当時13歳)の遺品も並べられている。倉西さんは建物疎開作業中に被爆して全身にやけどを負い、避難先で亡くなった。姉の重山初枝さんが、避難先の小学校に駆けつけた際、校庭の一角に倉西さんの校章や名札、学徒隊証などが遺品として並べられていたのを引き取り、保管してきた。 このほか被爆者が当時の様子を描いた絵や熱線を浴び変形したガラス瓶などが展示されている。静岡県富士宮市から訪れた小泉さゆりさん(68)は「資料一つ一つから当時の悲惨さが全身に伝わってきて涙が止まらない。このような悲惨な出来事を繰り返してはいけないと強く感じた」と話した。【井村陸】【時系列で見る】関連記事あわせて読みたいAdvertisementこの記事の特集・連載現在昨日SNSスポニチのアクセスランキング現在昨日1カ月アクセスランキングトップ' + '' + '' + csvData[i][2] + '' + '' + '' + listDate + '' + '' + '' + '' + '' + '' } rankingUl.innerHTML = htmlList;}const elements = document.getElementsByClassName('siderankinglist02-tab-item');let dataValue = '1_hour';Array.from(elements).forEach(element => { element.addEventListener('click', handleTabItemClick);});fetchDataAndShowRanking();//]]>