毎日新聞 2025/10/10 10:00(最終更新 10/10 10:00) 1309文字ポストみんなのポストを見るシェアブックマーク保存メールリンク印刷日本被団協全国都道府県代表者会議であいさつする田中熙巳代表委員=東京都千代田区神田駿河台で2025年10月8日午後1時10分、椋田佳代撮影 ノルウェーのノーベル賞委員会が日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)にノーベル平和賞の授与を発表してから11日で1年になるのを前に、日本被団協の田中熙巳(てるみ)代表委員(93)=埼玉県新座市=が毎日新聞の取材に応じた。「核兵器廃絶は人類が成し遂げなければならない目標だ。あまりに高い目標なので今は核兵器禁止条約の発効までしか実現していないが、私たちの活動が世界的に高く評価されたということを定着させなければならない」と語った。 青森、新潟、長野――。受賞決定後、全国各地から講演の依頼が相次ぎ、手帳には予定がびっしり書き込まれている。「相手の反応は変わった。握手してくださいと言われることもある。ただ、受賞の意味をどこまで受け取ってくれているのだろうか」と首をかしげる。この1年を振り返ると、核兵器廃絶に元々関心を持っていた層がより強く関心を持つようになったとは感じる。しかし、期待したような「大運動」にまで発展せずもどかしさがある。Advertisement 授賞理由では、被爆者たちの活動が核兵器の使用を許さないという規範「核のタブー」の確立に貢献したとたたえられた。田中さんは「被爆者が訴え続けてきたことが(タブーの確立を)もたらした。それが崩れようとしている今、強力に築き上げたいというのが被団協に受賞させた狙いだったと思う」と反すうする。核兵器廃絶、自分のこととして考えて 2024年12月にノルウェー・オスロであった授賞式では「もう一度繰り返します」と前置きし、準備した原稿にはない「原爆で亡くなった死者に対する償いは、日本政府は全くしていない」という発言をした。この時の状況を田中さんは「亡くなった人の魂が私の中に乗り移ったような感覚だった」と振り返った。 翌1月には石破茂首相と面会したものの日本政府は核兵器禁止条約に署名も批准もせず背を向けたままだ。世界に目を向ければ、ロシアによるウクライナ侵攻やパレスチナ自治区ガザ地区での戦闘が続いている。「期待が大きすぎたのかもしれないが、険しい状況だ。世界情勢も、核兵器がなくならない状況を平然と許している民意も」と話す。 うれしい出来事もあった。今夏、ノーベル賞委員会のフリードネス委員長が来日し、約7カ月ぶりに再会した。委員長が受賞者の国を訪れるのは異例といい、田中さんは「若い人たちこそが被爆者のこれまでの運動をつないで発展させていく人たちだと直接訴えたかったのだと思う」と語る。 各地で講演した後、「これから自分は何をやったらいいですか」といった質問を受けることがある。そんな時はこう呼びかけている。「核兵器廃絶は誰かがやってくれると思うのではなく、自分のこととして考えてもらいたい。あなたの頭の上に1万2000発の核兵器がある。これから何十年という人生の中で、核兵器がそんなにあっていいはずはない。そのためにみんなで話し合って知恵を出し合って行動してほしい」 核兵器禁止条約に参加する国は徐々に増えているとはいえ核保有国は加わっていない。田中さんは高い目標に向かって「核兵器廃絶と、戦争そのものを起こさないようにすることに全力投球したい」と力を込める。【椋田佳代】【時系列で見る】関連記事あわせて読みたいAdvertisementこの記事の特集・連載現在昨日SNSスポニチのアクセスランキング現在昨日1カ月アクセスランキングトップ' + '' + '' + csvData[i][2] + '' + '' + '' + listDate + '' + '' + '' + '' + '' + '' } rankingUl.innerHTML = htmlList;}const elements = document.getElementsByClassName('siderankinglist02-tab-item');let dataValue = '1_hour';Array.from(elements).forEach(element => { element.addEventListener('click', handleTabItemClick);});fetchDataAndShowRanking();//]]>