毎日新聞 2025/10/7 13:00(最終更新 10/7 13:00) 1149文字ポストみんなのポストを見るシェアブックマーク保存メールリンク印刷「参勤交代 お休み場」の標柱が立つ高瀬峠と山内公二さん。左奥に延びる道が中津街道=福岡県行橋市高瀬で 中津街道は江戸時代初頭、豊前の国を治めていた細川忠興によって整備された小倉、中津の両城下を結ぶ約52キロの幹線道。今もなお旧街道の面影が漂う古い町並みが残る一方、区画整理や道路建設などで分断され姿を消したり、使命を終え田園風景にひっそりと埋もれたりした道もある。時代とともに変貌してきた旧街道を探訪した。 中津街道と長峡川の河口にできた良港がクロスする福岡県行橋市は、在郷町(農村部に発達した都市)として商業が栄え、江戸時代、小倉藩内では小倉城下に次ぐにぎわいを見せた。郷土史家の山内公二さんによると、船が出入りした港に近い行橋市宮市町で現在も営業する「みやこホテル」(旧京都館)は、海運が盛んだった明治期、「たまには畳の上で寝たい」という船人たちの願いに応えて創業したという。Advertisement 長峡川に架かる万年橋を渡った先の西町から中町に続く通りは行橋商店街発祥の地。筑豊炭田華やかなりし頃、田川地域などからも多くの買い物客が訪れた。現在、当時のにぎわいはないものの、狭い旧街道沿いには老舗の和菓子店や仏壇店などが変わらず営業を続けている。大橋3丁目の三差路には、高さ50センチほどの六角形の石柱が立ち「南 中津道 西 小倉道 東 今元道」の文字が刻まれる。中津街道は、航空自衛隊築城基地のため分断されている。フェンスと門の向こうは基地の滑走路=福岡県行橋市松原で2025年6月24日午前10時41分、松本昌樹撮影 今川に架かる今川橋を渡って県立京都高前を過ぎる。行橋市北泉で旧国道10号(県道28号)と合流。同市辻垣で現国道10号の東側に出て、覗(のぞき)山を左に見ながら緩やか坂を上ると高瀬峠に至る。 江戸時代、街道の峠には茶屋が並んでいたが、この峠もその一つ。参勤交代で江戸との間を行き来した中津藩主一行も足を休めた「お休み場」だ。近くにある勝手神社を描いた古絵図にはこの峠が「宇佐宮奉幣使休憩所」と記されており、街道が江戸期以前から宇佐神宮へ向かう使者が通る勅使街道としての役割を持っていたことが分かる。峠に設置された案内看板によると、国道10号が開通したのは1933(昭和8)年。「新国道の開通によって旧街道は主役の座を譲りました」と説明される。 今も生活道路として使われている旧街道は住宅街の中を抜けて南に延び、築上町との境界となる行橋市松原で航空自衛隊築城基地の滑走路に突如、遮られる。この辺り、今は展望広場が整備され、戦闘機を撮影する愛好家でにぎわっている。 旧海軍は1939(昭和14)年12月、京都郡仲津村松原(現行橋市)と築上郡八津田村西八津田(現築上町)に飛行場建設を始め、中津街道は分断された。太平洋戦争末期、飛行場とその周辺は繰り返し米軍の空襲にさらされ、住民にも多くの犠牲者が出た。 「街道沿いには亡くなった家族らを弔う墓標も多く建てられている」と説明をしてくれる山内さんの声は、基地を飛び立つ戦闘機の爆音にかき消された。【松本昌樹】あわせて読みたいAdvertisement現在昨日SNSスポニチのアクセスランキング現在昨日1カ月アクセスランキングトップ' + '' + '' + csvData[i][2] + '' + '' + '' + listDate + '' + '' + '' + '' + '' + '' } rankingUl.innerHTML = htmlList;}const elements = document.getElementsByClassName('siderankinglist02-tab-item');let dataValue = '1_hour';Array.from(elements).forEach(element => { element.addEventListener('click', handleTabItemClick);});fetchDataAndShowRanking();//]]>