複製写真の裏面。パリの画廊のスタンプが押されていた=盛岡市の岩手大で2025年10月1日午後3時29分、山田英之撮影写真一覧 19世紀の画家、ゴッホなどの西洋美術作品の複製写真が、岩手大で大量に見つかった。複製写真は、1910(明治43)年に創刊した文芸雑誌「白樺(しらかば)」を中心に活動した作家、志賀直哉ら白樺派の文芸に影響を与えたことで知られる。調査・研究を進める教育学部の金沢文緒教授(西洋美術史)は「近代日本における西洋美術の受け入れや西洋との文化交流を考えるうえで極めて重要な資料」とみている。【山田英之】 今回見つかったのは偶然で、存在や価値が知られないまま日の目を見ない可能性もあった。岩手大の芸術系教授らの研究成果を発信する組織が2020年、活動拠点の部屋を学内の別の建物に移転。移転作業の際、室内に保管されていたことが分かった。Advertisement 複製写真はゴッホの他に、19~20世紀の画家、ピカソやマティスなどの作品を撮影した200点前後(現在も整理中のため、正確な点数は不明)。複製写真が入っていた紙挟(かみばさみ)(書類を挟んでおく文房具)6点。この他に、書籍や雑誌から切り抜いた西洋美術を中心とする図版が多数。洋書を中心とした蔵書46点もあった。複製写真の研究を進める金沢文緒教授=盛岡市の岩手大で2025年10月1日午後5時5分、山田英之撮影写真一覧 学内に記録がなく、資料を見つけた時点では保管されている理由などが全く分からない状態だった。発見から3年後に資料の存在を知った金沢教授がゼミの学生たちと調査に乗り出し、収集理由や来歴の解明がようやく始まった。その過程はまるで謎解きのようだった。 複製写真の裏面には、20世紀初頭のパリの著名な画廊のスタンプが押してあった。販売元とみられる画廊が存在した時期から、まず複製写真の販売時期を絞り込んだ。紙挟には「KABUTOYA―GADO」と印字されていた。画廊「兜屋画堂」を東京・神田神保町で1919年から約1年間経営した先駆的な写真家、野島康三(やすぞう)に関連する資料という仮説を立てて調査を進めた。 調査の過程で、複製写真の裏面にあった鉛筆の走り書きが「野島様」であることを解読。野島の企画展を担当した経験のある有識者から、岩手大に野島の蔵書が過去に寄贈されたのではないかという未確認の情報も得られた。 野島が亡くなった1964年以降の岩手大の図書館の図書の購入・寄贈を記録した原簿を調べ、65年にまとまった洋書の寄贈があったことを突き止めた。原簿に寄贈者として野島に関係する情報はなく、未整理図書として扱われていた。散在していた蔵書の所在を追跡してたどり着き、野島の蔵書印や署名を確認。蔵書の一部は複製写真と同じ部屋に保管されていたことから、野島の収集資料と特定した。西洋美術の複製写真が入っていた紙挟=盛岡市の岩手大で2025年10月1日午後3時42分、山田英之撮影写真一覧 見つかった複製写真が収集されたのは1910年代から20年代が中心とみられ、野島が白樺関係者と交流していた時期と重なる。関係者の遺族らへの聞き取りなどで、野島の義弟(妻の妹の夫)だった洋画家が、岩手大で64年度に非常勤講師を務めていたことも明らかになった。野島の義弟と当時の岩手大の絵画担当教授は、東京美術学校(東京芸術大美術学部の前身)の同窓生で親交があったことから、義弟が一連の資料の寄贈を決断したとみている。 金沢教授は元々、野島について研究していたわけではなく、岩手大とのゆかりも分からない状況から調査を始めた。「私が調べなければ埋もれてしまうという使命感に突き動かされた。見つけたからには世に出したいと思った。謎解きに夢中になり、のめり込んでいった」と振り返る。 今回見つかった資料のうち、ゴッホの絵画の複製写真など約30点は11月1日から、野島の出身地・埼玉県の県立近代美術館(さいたま市)で初公開される。今後、岩手県内での一般公開も検討している。複製写真岩手大で見つかったゴッホの絵画の複製写真=盛岡市の岩手大で2025年10月1日午後3時43分、山田英之撮影写真一覧 絵画や彫刻を撮影した写真。実物の作品を鑑賞するのが難しかった大正時代を中心に、西洋美術に関する情報を得る手段として重要な役割を担った。かつては東京を中心に専門店がフランスなどから輸入して販売。美術を学ぶ学生や知識人が買っていた。関東大震災(1923年)や戦時中の東京大空襲で多くが失われ、体系的にまとまって現存するのは珍しい。野島康三 1889~1964年。日本の近代を代表する写真家の一人。埼玉県出身。裕福な銀行家の家庭で育った。文芸雑誌「白樺」を通じて西洋美術と出会い、白樺の関係者と交流を深めた。新進の洋画家の個展を兜屋画堂で開催するなど芸術家を経済的に支え、美術の振興に貢献した。写真雑誌「光画(こうが)」の創刊にも関わり、実験的な写真の表現を追求した。画廊経営や美術収集など文化人としての多面的な活動も研究者に注目されている。