規制ゲートを通過する登山者たち=山梨県の富士山吉田ルート5合目で2025年7月1日午前9時15分、野田樹撮影 山梨、静岡両県が入山料4000円の徴収を始めた今夏、登山者から任意で1000円の寄付を募る「富士山保全協力金」が役目を終え、廃止された。入山料の先駆けとして始まった協力金は、山梨県富士吉田市の堀内茂市長(76)が2009年に導入を提唱し、14年に始まった。 富士吉田市は、富士山北麓(ほくろく)に位置し、県側登山道「吉田ルート」の大部分が市域に入る。6合目の安全指導センターの運営に携わり、8合目に救護所を設置するなど登山者の安全対策を担ってきた。Advertisement 吉田ルートの開山期間中の登山者数は、市が1981年から6合目で数えている。86、87年に20万人に達し、富士スバルラインのマイカー規制などでしばらく15万人前後が続いたが、登山ブームが起きて2007年に19万人に増加。翌08年は一気に24万人を超えた。環境省が統計をとる全体の登山者数も同年は30万人近くに上った。岩場を登る登山者たち=山梨県の富士山吉田ルート7合目で2025年7月25日午前8時36分、野田樹撮影 堀内市長は「増え方が急激で、このままいけばひどいことになると感じた」と振り返る。安全対策に加え、排せつ物処理などの環境保全で経費がかさみ、市の負担も重くなった。マレーシアのキナバル山など海外で導入されていた入山規制を自ら現地に行って学び、入山料の必要性を訴えた。 ただ、当時は窮状を訴えても県の動きは鈍かったという。富士山麓の自治体に働き掛けて賛同を集め、世界文化遺産に登録された13年、山梨、静岡両県が合意して協力金の試験的な導入が実現した。 今夏、両県の規制の足並みがそろったのも、富士吉田市などが23年、危険な「弾丸登山」や混雑を懸念して山梨県に規制強化を要望したことがきっかけだった。登山道の状況を見ながら規制の議論を先導してきた堀内市長は「県が安全対策に力を入れてくれてうれしい。今回の規制でより快適な登山につながる」と手応えを得た。 山梨県は24年の規制で、弾丸登山が約9割減少したと評価。効果をさらに高めるため、今夏はゲートの閉鎖を2時間前倒しした。吉田ルートの山小屋でつくる富士山吉田口旅館組合の井上義景事務局長は「夜は本当に静か。弾丸登山は絶滅したと言っていいのではないか」と高く評価した。静岡側も規制後、夜間の登山者が減っているといい、入山できない時間帯を設ける規制は大きな成果を上げている。登山者の減少も山梨県富士吉田市の堀内茂市長=同市役所で2025年6月10日午前11時0分、野田樹撮影 一方、規制によるとみられる登山者の変化もあるという。井上事務局長は「肌感覚だが、日本の家族連れや3~4回登る人が減った。外国人が目立ち、少し寂しさはある」と漏らした。山梨側で巡回指導などに関わる登山ガイドは「1人4000円は決して安くない。富士山を避けた人がどれほどいるか気になる」と登山者の減少を心配する。 静岡側の御殿場ルートでは、開山した7月10~31日の登山者数は2943人。前年同期(5131人)に比べて4割減だった。静岡県の担当者は「御殿場はトレイルランニングの練習をする人が多く、登るたびに入山料を支払うのを敬遠したのではないか」とみる。 信仰の山として江戸時代から親しまれ、交通網の発達で身近になった富士山。山の環境と登山者の安全を守るため規制強化の方向で模索が続く。両県は10日の閉山後、今夏の規制の効果や課題をまとめる見込みだ。【野田樹】富士登山の規制を巡る経緯1994年 富士スバルライン(山梨県)と富士山スカイライン(静岡県)でマイカー規制を実施2009年 富士吉田市の堀内茂市長が「入山料」の導入を提唱 10年 ふじあざみライン(静岡)でマイカー規制を本格実施 同 環境省の調査開始(05年)以降最多の登山者数32万975人を記録 13年 富士山が世界文化遺産に登録 14年 両県で任意の富士山保全協力金を導入 15年 両県の閉山日を9月10日に統一 20年 新型コロナウイルス感染拡大で山開きを見送る 24年 山梨が5合目にゲートを設け、入山料2000円の入山規制を開始 25年 山梨が入山料を4000円に値上げ。静岡が同額で入山規制を開始。両県が富士山保全協力金を廃止