西谷監督「やっと年輪が…」 センバツV、大阪桐蔭の新境地

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毎日新聞 2026/3/31 19:58(最終更新 3/31 19:58) 1230文字ポストみんなのポストを見るシェアブックマーク保存メールリンク印刷【大阪桐蔭-智弁学園】優勝し喜ぶ大阪桐蔭の選手たち=阪神甲子園球場で2026年3月31日、長澤凜太郎撮影選抜高校野球大会決勝(31日、阪神甲子園球場)○大阪桐蔭7―3智弁学園(奈良)● 甲子園の曇り空の下、春の優勝回数と同じ5度宙を舞った。自身、春夏通算9回目の優勝監督となり、選手たちに胴上げされた大阪桐蔭の西谷浩一監督は「まだ40年ちょっとの歴史の浅い学校ですが、やっと年輪ができてきたと思います。それが一番うれしいです」と実感を込めた。 決勝でその言葉を象徴する場面があった。【大阪桐蔭-智弁学園】二回表大阪桐蔭1死二塁、中村勇斗が適時打を放つ=阪神甲子園球場で2026年3月31日、玉城達郎撮影 二回に先制適時打を放った中村勇斗の父剛也氏はOBでプロ野球・西武で活躍する。三回に2点適時二塁打を記録した藤田大翔の父も大阪桐蔭の元主将だ。Advertisement 親子2代を指導したことになり、西谷監督は「おじいちゃんになったというか……」とおどけながら「(教え子に)お前になんか預けるかと思われずに本当にありがたい」と喜ぶ。長く監督を続け、結果を出してきたからこそ、たどり着ける境地だ。 その指導法は熱血漢というより、どこか力が抜けつつも緩急を使ったやり取りで選手たちを導いているように映る。 今大会で話題になった一幕がある。 3月27日の準々決勝の英明(香川)戦。六回に勝ち越しソロを放った4番の谷渕瑛仁(えいと)が右手を上げてダイヤモンドを回り、ベンチに帰ってくると呼び止めた。 谷渕によれば「ガッツポーズはせんほうがかっこええぞ。次の打席が大事やぞ」と柔らかい口調で伝えられたという。 選手を否定せず、プレーを萎縮させない言葉選び。その意図を理解した谷渕は直後の打席でバスターから二塁打を放ち、監督のサインに全力で応えた。【大阪桐蔭-智弁学園】優勝しインタビューに答える大阪桐蔭の西谷浩一監督=阪神甲子園球場で2026年3月31日、西夏生撮影 この絶妙な距離感が西谷監督の真骨頂でもある。自然体で接しつつ、巧みな人心掌握と包容力で束ねる。選手たちをピリピリさせず、全国から集まった精鋭たちの力を結集させ、最大化させていく。 大阪桐蔭は1983年に大産大高大東校舎として設立され、88年に独立。甲子園には91年に春夏とも初出場し、夏は初出場初優勝を飾った。西谷監督が赴任したのは93年。自身は報徳学園(兵庫)、関西大と伝統校の出身だけに「伝統がないので、選手たちには、とにかく上のレベルで野球を続けてほしかった」と進路の開拓に奔走してきた。 今やプロ野球界に多くの人材を輩出し、教え子がコーチとして自身を支えてくれるようになった。「OBの数はうちがぶっちぎりで1位だと思う」と誇る社会人野球で活躍する選手たちは頻繁にグラウンドに顔を出して練習を手伝い、刺激を与えてくれる。 「道しるべが少しずつできてきた。それが今の一番のうちの武器で、やっとそういう伝統ができつつあるのが一番うれしいことです」優勝旗を先頭に場内を一周をする大阪桐蔭の選手たち=阪神甲子園球場で2026年3月31日、西夏生撮影 監督として歴代最多の春夏通算75勝に達し、勝率は驚異の8割3分3厘。既に高校野球史に名を刻む存在だが、勝利への意欲は尽きない。3度目の春夏連覇を視野に「もちろん夏にここに戻ってきて、また勝つことです」と宣言した。 自身が築き上げた伝統の力も追い風にしながら、これからも前人未到の領域を走り続けていく。【長宗拓弥】【時系列で見る】関連記事あわせて読みたいAdvertisementこの記事の特集・連載1時間24時間SNSスポニチのアクセスランキング1時間24時間1カ月アクセスランキングトップ' + '' + '' + csvData[i][2] + '' + '' + '' + listDate + '' + '' + '' + '' + '' + '' } rankingUl.innerHTML = htmlList;}const elements = document.getElementsByClassName('siderankinglist02-tab-item');let dataValue = '1_hour';Array.from(elements).forEach(element => { element.addEventListener('click', handleTabItemClick);});fetchDataAndShowRanking();//]]>