毎日新聞 2025/11/17 13:00(最終更新 11/17 13:00) 784文字ポストみんなのポストを見るシェアブックマーク保存メールリンク印刷80年前にあった戦争の悲劇「伊賀線への機銃掃射」を伝える「平和のサイン」ボード=三重県伊賀市の伊賀鉄道丸山駅で2025年11月9日、山口敬人撮影 1945(昭和20)年8月8日、近鉄伊賀線(現伊賀鉄道)の2両編成の列車が丸山駅(三重県伊賀市枅川)近くの鉄橋で米軍機からの機銃掃射を受け12人が死亡、23人が重軽傷を負った--。80年前の悲劇を風化させることなく後世に伝えようと、伊賀市が丸山駅舎内に「平和のサイン」ボードを設置した。【山口敬人】 駅舎内の壁面に取り付けられたボードは縦107センチ、横55センチで、「伊賀線への機銃掃射」とタイトルが付けられた。実際に銃撃を受けた車両の写真とともに、この空襲のあらましを紹介。市が戦争の惨劇を繰り返さないために、2005年に「非核平和都市宣言」をし、08年からは「平和首長会議」に加盟しているとも記した。Advertisement機銃掃射があった現場の伊賀鉄道丸山駅南約150メートルの鉄橋。今も現役だ=三重県伊賀市で2025年11月9日、山口敬人撮影 今月9日には地元住民ら約60人が参加したお披露目会が開かれた。稲森稔尚市長は「ここに掲げた平和のサインを特に子どもたちの平和学習、地域のみなさんの戦争を語り継ぐ取り組みに活用していただきたい」とあいさつした。続いて07年にまとめた戦争体験談集「平和への証言」から、この空襲についての「証言」部分を市職員が朗読した。 「気がつくと、私の隣に座っていた同じ職場の勤労学徒であった高田中学校の学生さんが、弾に当たって倒れていました。即死でした。その後遺体は岡波病院の畳の部屋に安置されました。(中略)銃撃がわずかでもずれていたら、ここに安置されているのは私だったんだという恐怖と、志半ばで逝かれた学生さんの無念な生涯を思うと、あの時の光景は六十年経(た)った今も忘れることはできません」 お披露目会終了後、丸山駅前で地元住民らによる実行委員会主催の犠牲者慰霊祭が営まれた。実行委代表の福森昌生さん(83)は「戦争の悲惨さを子孫に味わわせないよう、戦争を語り伝えていくのは私たちの義務」と呼びかけた。読経の流れる中、出席者は焼香し犠牲者を弔うとともに平和を祈念した。【時系列で見る】関連記事あわせて読みたいAdvertisementこの記事の特集・連載現在昨日SNSスポニチのアクセスランキング現在昨日1カ月アクセスランキングトップ' + '' + '' + csvData[i][2] + '' + '' + '' + listDate + '' + '' + '' + '' + '' + '' } rankingUl.innerHTML = htmlList;}const elements = document.getElementsByClassName('siderankinglist02-tab-item');let dataValue = '1_hour';Array.from(elements).forEach(element => { element.addEventListener('click', handleTabItemClick);});fetchDataAndShowRanking();//]]>