講演する石川早智子さん。会場の壁には夫一雄さんの短歌が掲げられた=さいたま市内で2026年1月12日、隈元浩彦撮影 狭山事件で無実を訴え続け、昨年3月に他界した石川一雄さんの妻・早智子さん(78)が12日、さいたま市内で開かれた「平和の俳句展2026」(九条俳句訴訟を今につなぐ市民の会など主催)で講演し、再審法改正を訴えた。また、自らも被差別部落出身であることを明かし、差別と冤罪(えんざい)にあらがい続けた半生を語る場となった。【隈元浩彦】夫の短歌背に再審法改正訴え 「市民の会」の原点は2014年、同市の「公民館だより」への掲載を拒否された、「梅雨空に『九条守れ』の女性デモ」の一句(九条俳句)にある。表現や思想・信条の自由、行政の中立性は何かという議論を巻き起こした裁判は、18年に作者の女性(85)側の勝訴で幕を閉じたが、その意義を語り継ごうと24年に同会が発足。毎年平和をテーマにした句展を開いている。Advertisement 3回目の今回は、短歌を詠み続けた石川さんの作品を紹介するコーナーが設けられた。この日の講演はその前で行われた。 「平和という日常の当たり前がどんなに尊いか。その取り組みの中に石川一雄の短歌を入れてもらい感謝しています」。早智子さんは、会場に並ぶ一雄さんの短歌を慈しむように見つめながら、静かに話し始めた。 1963年に狭山市内で起きた女子高生殺害事件。非識字者だった一雄さんが獄中で刑務官から文字を学び、同房の死刑囚から「短い言葉で自分の心を訴えられる短歌を学びませんか」と勧められたのが短歌との出会いだったという。 早智子さんは「(一雄さん同様に)私も被差別部落に生まれました」と明かし、自らの壮絶な体験に触れた。徳島県内の被差別部落に生まれ、就職活動では住所や本籍地を心ならずも偽り、勤め先では差別的な言葉に傷付けられた。「知られたら終わりだ」と心を閉ざしていた早智子さんを救ったのは、獄中の一雄さんからの「差別から逃げるな」というメッセージだった。 「『隠すな。差別と戦え』という一雄さんの言葉で、氷が解けるように私を解き放ってくれた」 時折涙声になる早智子さんだったが、事件の被害者遺族への心情も吐露した。「被害者は私と同い年。豊かな人生を送ったはずの彼女、家族の人生は不幸の中に追い込まれた。本当に、冤罪は大きな人権侵害だ」「解散でどうなってしまうのか」 焦点の再審法改正では厳しい現状を訴えた。静岡県の一家4人殺害事件で再審無罪が確定した袴田巌さんの事例では、最初の再審開始決定から無罪確定まで10年を費やした。検察官が裁判所の決定に不服を申し立てる「抗告権」を行使したためだった。「今のままの制度では、私が(生きて)夫に良い報告ができない」 国会における再審法改正の議論は止まったままだ。法務省主導の法制審の議論は、「抗告権」は温存したままの、まるで“逆コース”のような方向で進められている。 早智子さんは昨年4月、第4次再審請求を申し立てたが、検察の引き延ばしのような対応で三者協議は進んでいない。それでも「再審開始、無罪獲得を目指して頑張る」という決意で締めくくった。 講演後、嗚咽(おえつ)を漏らしながら言った。「再審法改正は当たり前のことだと思うのに、国会の解散でどうなってしまうのか。社会の無関心が一番悲しい」「九条俳句」作者も 会場には、もう一つの「当たり前」を求めて闘った女性がいた。「九条俳句」の作者だ。会場では、表現の自由と人権を巡る2人の思いが静かに交差した。 「平和を大切にしたいという自然な気持ちを俳句に詠んだだけなのに問題だと言われた。再審法改正も同じこと。当たり前の願いが届かない時代になっている感じがします」 そう語った女性の作品も会場に並んだ。句は、不穏な時代の空気に重なるように響いた。 「白杖に触れ薄氷(うすらい)の割れる音」