毎日新聞 2025/9/23 07:15(最終更新 9/23 07:15) 753文字ポストみんなのポストを見るシェアブックマーク保存メールリンク印刷名井萬亀「六根清浄」(1968年、広島県立美術館所蔵) 広島県立美術館で戦後80年企画として開催中の所蔵作品展「戦争と美術、美術と平和」の見どころなどを担当の学芸員に紹介していただきます。 美術作品を通して戦前・戦後の広島を紹介している本展で、第4室は戦後の表現をご紹介している。 戦後、広島でもさまざまな表現が生まれているが、その背景には、作家それぞれの戦争体験が大きく影響している。例えば被爆体験を持つ作家には、戦後しばらくの間は「戦争の悲惨さを描いても死んだ人は生き返らない」とか「美しいものを描くことで復興の支えになりたい」と、自らの体験を作品化しない作家が多かった。Advertisement その空気を一変させたのがビキニの水爆実験(1954年)だ。名井萬亀(まき)は「原爆があれほどの被害をもたらしたというのに、人類はさらに強力な兵器を生み出そうとするのか」と、人間の残虐性を告発する作品を描き始める。 名井以外にも多くの作家が同様に、次世代に伝えようと筆を執り始める。中には気持ちの整理に長い時間を必要とした作家もいた。 片岡脩は中学1年生の時、爆心地から約800メートルで被爆し、300人を超える同級生のほとんどを、そして父と兄まで失った。デザイナーとして独立した後も「被爆の惨状は紙や筆では描き切れない」と距離を置き続けたが、被爆40年の節目に命の残り時間を意識し、生き残った者の責任として自分の体験を次世代に伝えなければならないと思った。彼の描いたポスターは、直接的な表現を避けながら、戦争のない世界、平和な世界の実現を力強く訴える。 この度の展示では、作家ごとに異なるさまざまな体験と多様な表現を併せてご紹介するよう努めた。少しでも多くの方に、作品を通して作家の体験に思いを馳(は)せるきっかけとしていただけることを念願している。(広島県立美術館学芸員・角田新)【時系列で見る】関連記事あわせて読みたいAdvertisementこの記事の特集・連載現在昨日SNSスポニチのアクセスランキング現在昨日1カ月アクセスランキングトップ' + '' + '' + csvData[i][2] + '' + '' + '' + listDate + '' + '' + '' + '' + '' + '' } rankingUl.innerHTML = htmlList;}const elements = document.getElementsByClassName('siderankinglist02-tab-item');let dataValue = '1_hour';Array.from(elements).forEach(element => { element.addEventListener('click', handleTabItemClick);});fetchDataAndShowRanking();//]]>