毎日新聞 2025/9/23 10:15(最終更新 9/23 10:15) 655文字ポストみんなのポストを見るシェアブックマーク保存メールリンク印刷石炭館で17分所の写真を見ながら説明を受けるアーノルドさん(中央)=福岡県大牟田市岬町の石炭産業科学館で2025年9月14日午前、降旗英峰撮影 太平洋戦争中に日本の捕虜となり、福岡県大牟田市にあった「福岡俘虜(ふりょ)収容所第17分所」に収容された米国人、アーネスト・アーノルドさん(故人)のおいで、元機械技師のティモシー・アーノルドさん(67)=ワシントン州在住=が、収容所跡などを見学した。 米軍の兵士だったアーネストさんは1942年ごろフィリピン・バターン半島に派遣された。米軍は比軍とともに日本軍に抵抗したが投降し、米比の捕虜は約100キロを徒歩で移動する「バターン死の行進」を強いられた。アーネストさんはジャングルに逃げ込み行進を逃れたが、やがて捕らえられ、17分所に送られたという。Advertisement 17分所は旧三井三池炭鉱の従業員宿舎を改造した国内最大規模の収容所だった。米英豪などの捕虜約1700人を厳しい炭鉱労働に従事させ、病気などにより亡くなる人も少なくなかった。 戦後に帰国したアーネストさんから収容所のことを聞いたティモシーさんは、大牟田市を訪ねたいと思っており、退職後に初来日した。17分所について研究している福岡市早良区の戦史研究家、古牧昭三さん(77)らに案内を依頼し、今は貯炭場になっている収容所跡や石炭産業科学館を見学した。 ティモシーさんは「収容所は1日2食の生活でおじはいつも空腹だったと言っていた」とアーネストさんが日本を良く思っていなかったことを示唆する一方、「私は今回、親切に迎えていただいた。一方の国のことだけを考えるのではなく協力する関係が築ければ、戦争にはならないのではないか。平和が一番大事だ」と語った。【降旗英峰】【時系列で見る】関連記事あわせて読みたいAdvertisementこの記事の特集・連載現在昨日SNSスポニチのアクセスランキング現在昨日1カ月アクセスランキングトップ' + '' + '' + csvData[i][2] + '' + '' + '' + listDate + '' + '' + '' + '' + '' + '' } rankingUl.innerHTML = htmlList;}const elements = document.getElementsByClassName('siderankinglist02-tab-item');let dataValue = '1_hour';Array.from(elements).forEach(element => { element.addEventListener('click', handleTabItemClick);});fetchDataAndShowRanking();//]]>