プラザ合意40年:プラザ合意は「成功せず」 浅川元財務官が語る米国の構造問題とは

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プラザ合意40年毎日新聞 2025/9/23 18:00(最終更新 9/23 18:00) 有料記事 2485文字ポストみんなのポストを見るシェアブックマーク保存メールリンク印刷インタビューに答える元財務官の浅川雅嗣氏=東京都中央区で2025年9月3日、小林努撮影 各国が協調して米ドル高是正を図った「プラザ合意」から今年9月で40年を迎えた。国際金融市場と向き合ってきた財務省元財務官で国際通貨研究所理事長の浅川雅嗣さん(67)は、第2のプラザ合意の可能性について「40年前も成功しなかった。それは考えにくい」という。その真意に迫った。【聞き手・横山三加子】 ――1985年のプラザ合意とは何だったのでしょうか。 ◆71年のニクソン・ショックで金と米ドルの兌換(だかん)(交換)が停止され、ブレトンウッズ体制が崩壊したという文脈の中で捉えるのが一番正しいだろう。体制の崩壊でドルの固定為替相場制ではなくなったものの、ドル基軸通貨体制は厳然として残り、全然揺らがなかった。 しかし、70年代後半から80年代前半にかけ、米国はドル高に加え財政と貿易の双子の赤字に苦しんだ。米国のマクロ経済バランスが崩れ持続可能ではない状況だった。ドル基軸通貨体制を崩壊させるという選択肢はない中で、何とか為替政策の協調で維持・存続させようという先進国の試みがプラザ合意だったと考える。 ――その目的は達成できたのでしょうか。 ◆高すぎたドルを各国が協調してある程度調整しようとしたこと自体は間違っていない。「ある程度」というのは明示されてはいないが、よく言われているのは10~12%程度の減価だ。それが目的だとすれば、ドルは2年で半値まで下がり、完全に行き過ぎた。 これが成功しなかったのは、…この記事は有料記事です。残り1880文字(全文2485文字)【前の記事】変動相場制に「諦め」も 「プラザ合意」奔走した行天豊雄さんの思い関連記事あわせて読みたいAdvertisementこの記事の特集・連載この記事の筆者すべて見る現在昨日SNSスポニチのアクセスランキング現在昨日1カ月アクセスランキングトップ' + '' + '' + csvData[i][2] + '' + '' + '' + listDate + '' + '' + '' + '' + '' + '' } rankingUl.innerHTML = htmlList;}const elements = document.getElementsByClassName('siderankinglist02-tab-item');let dataValue = '1_hour';Array.from(elements).forEach(element => { element.addEventListener('click', handleTabItemClick);});fetchDataAndShowRanking();//]]>