価値観違っても「共に」 イスラエルとパレスチナの壁超えた若者の絆

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毎日新聞 2025/9/21 07:00(最終更新 9/21 07:00) 2063文字ポストみんなのポストを見るシェアブックマーク保存メールリンク印刷ひもを投げ合い、プロジェクトを通じての互いへの思いを伝え合う「絆ゲーム」。認定NPO法人「聖地のこどもを支える会」の井上弘子理事長(手前右)が若者たちに一体感を感じられた時にだけ実施する最終日のイベントだ=東京都内の聖パウロ修道会で2025年8月16日(同会提供)写真一覧 ユダヤ人と、パレスチナ人の若者が共に笑う。ただそれだけなのに、まれな光景のように見える。 2023年10月7日、パレスチナ自治区ガザ地区を実効支配するイスラム組織ハマスが、イスラエルを急襲。イスラエルも直ちに反撃した。あれから間もなく2年。イスラエルの攻撃は今も続く。だが双方の若者の絆は芽生えた。わずか15日間という短い旅路でも。同じ釜の飯を食い、遊び…対話の時間が始まる前、談笑するイスラエル、パレスチナ、日本の若者たち=長崎市内の「浦上サンタマリアの家」で2025年8月9日、ドキュメンタリー写真家・森佑一氏撮影写真一覧 教育支援や平和交流を続ける認定NPO法人「聖地のこどもを支える会」(東京都、井上弘子理事長)は「平和の架け橋プロジェクト」を主催している。イスラエルとパレスチナ、日本の若者が日本各地を旅しながら交流する試みだ。今年で20回目となり、イスラエル人4人(ユダヤ系3人とアラブ系1人)とパレスチナ人3人、日本からは4人が参加。8月16日、その報告会が東京都内で開かれた。Advertisement エルサレム在住のパレスチナ人女性、ティア・アラミさん(28)は「きっと困難な状況に置かれる」と覚悟して臨んだ。その行程は「ジェットコースターのようだった」と振り返る。「午前中に激しく議論し、夜には皆で遊びに行く。ある日はヒートアップし、次の日には落ち着いて話し合う」。やがて「(参加者が)家族と呼べるほど近い存在になり驚いている」という。 旅は8月3日、長崎県平戸市のカトリック田平教会から始まった。大部屋での雑魚寝。翌日は地元の小学生と折り鶴、習字や生け花も学んだ。組み体操のような「人間椅子ゲーム」で体を預け合う。草むしりで汗だくになった。小学生らに習った折り紙で、被爆者に贈る鶴を折るイスラエル、パレスチナの若者たち=長崎市内の「浦上サンタマリアの家」で2025年8月10日、ドキュメンタリー写真家・森佑一氏撮影写真一覧 翌日もその翌日も、「議論」にはまだ入らない。釣りに海水浴。夕暮れには温泉の外湯で海に沈む夕日を見て「裸の付き合い」。 井上さんには苦い経験があった。23年夏のプロジェクトは「親しくなる時間を取れず」、いきなり広島の被爆地を訪ねた。想起される「戦争」。やがて衝突が起きた。ユダヤ人とパレスチナ人が、突然口論を始めたのだ。「ストップ」。小柄な井上さんが割って入り「あとでゆっくり話しましょう」。なんとかその場を収めた。 一方で、昨年はうれしい発見も。きっかけはあるユダヤ人青年の言葉だった。 その青年は、23年10月に起きたハマスとの戦闘で、イスラエル軍兵士としてガザ地区に派遣された。任務後にプロジェクトに参加した。「上官の命令に従うのがつらかった。誰かに話したい」。そんな思いを抱えていたさなか、パレスチナ人らと温泉につかることになった。「僕は気づいたんです。みんな同じ人間なんだって」 井上さんは語る。「同じ釜の飯を食い、遊び、働いて、裸の付き合いをして、初めて心に秘めたものを話せるようになるのです」体を預け合い、輪になる。プロジェクト開始後間もない時期に試みるスキンシップを盛り込んだゲームで、互いの「距離」を縮めていく。写真奥に飾られているのは、若者たちが試みた生け花や習字の文字「平和」=長崎県平戸市のカトリック田平教会で2025年8月4日(認定NPO法人「聖地のこどもを支える会」提供)写真一覧 今年の8月7日に被爆地・長崎市に入り、原爆資料館などを訪ねた。9日は平和祈念式典に参加。被爆者たちの言葉に耳を傾け、涙を流すメンバーもいた。数日前に作った500羽弱の折り鶴を被爆者に手渡した。「共に生きることができる」 突っ込んだ議論を始めたのは1週間ほどたってから。戦争、占領、暴力、平和。ユダヤ人の大学生、エルヤシブ・ニューマンさん(23)が振り返る。「決して楽なものではありませんでした。自分にとって大切なことについて、相手は全く異なる見解だと実感するのは苦しい経験でした」。でもパレスチナ人たちとはもう友人になっている。「全く異なる世界観や視点を持っていても、共に生きることができる」と実感した。 ヨルダン川西岸パレスチナ自治区の入植地で育った。兵役などを経て宗教と距離を置きたいと思うようになり、今はエルサレムで1人で暮らしている。ニューマンさんはこうも気づいた。平和とは「共通の価値観や信念を完全に共有すること」ではなく、違いを超えて「共存の重要性を理解すること」。帰国したら「パレスチナ人も我々と同じ人間なのだ」と周囲に伝えたいという。 東エルサレムから参加したラナ・ランティシさん(31)は報告会で、特に被爆地を訪ねた意味を強調した。「死や破壊の中からでも、再建と平和な未来への希望があると学べました」ガザ地区写真一覧 日本からの参加者には両者をつなぐ役割が期待された。大学院生の江口真由さん(24)は「それができているのか自信がもてなかった。議論では初めて知ることがたくさんありました」。自分はどんな役割を果たすべきなのか、悩む日々だったという。 最終日は恒例の「絆ゲーム」。輪になって座り、一本の長いひもに率直な思いを乗せて投げ合う。「話を聞いてくれてありがとう」「友達になってくれてありがとう」。「感謝」と「絆」が飛び交った。 一方、日本から遠く離れた「かの地」でも、壁を超えて対話する人々がいた。【大治朋子】  ◇  ◇    世界的な経済の悪化に伴い、同会をはじめ各種平和支援団体は資金難に陥り、寄付を必要としている。「聖地のこどもを支える会」への寄付は、クレジットカードや銀行・郵便振り込みなどにより受け付けている。 寄付方法の詳細はhttps://seichi-no-kodomo.org/support/donation/。【時系列で見る】関連記事あわせて読みたいAdvertisementこの記事の特集・連載この記事の筆者すべて見る現在昨日SNSスポニチのアクセスランキング現在昨日1カ月アクセスランキングトップ' + '' + '' + csvData[i][2] + '' + '' + '' + listDate + '' + '' + '' + '' + '' + '' } rankingUl.innerHTML = htmlList;}const elements = document.getElementsByClassName('siderankinglist02-tab-item');let dataValue = '1_hour';Array.from(elements).forEach(element => { element.addEventListener('click', handleTabItemClick);});fetchDataAndShowRanking();//]]>