映画の推し事毎日新聞 2025/9/21 22:00(最終更新 9/21 22:00) 3094文字ポストみんなのポストを見るシェアブックマーク保存メールリンク印刷「ザ・フー キッズ・アー・オールライト」©Who Group Ltd 若者文化が花開き、活気に満ちた1960年代のロンドン。当時の若者は、特権階級に対する反発や反体制的な意識を持ち、その感情が新しい文化を生んだ。 ビートルズ、ローリング・ストーンズ、キンクスなど次々と新しいバンドが誕生しただけではない。ミニスカートという挑発的なファッションやポップなグラフィックデザイン、斬新な文学や映画、大胆なアートや写真が誕生した。Advertisement このストリートカルチャーは「スインギング・ロンドン」といわれ、その象徴となったのが64年結成のバンド、ザ・フーである。彼らのオリジナリティーは、細身のモッズファッションと反骨精神、そして大爆音とクレージーな奇行にあった。「ザ・フー キッズ・アー・オールライト」©Who Group Ltd製作から約半世紀 日本初公開 ドキュメンタリー映画「ザ・フー キッズ・アー・オーライト」は、79年にザ・フーの原作映画「さらば青春の光」と同時公開されたが、日本では未公開。ギターのピート・タウンゼントが80歳を迎える2025年、日本で初公開される。 ザ・フーのメンバーは4人。マイクを振り回すハイトーンボイスのボーカリスト、ロジャー・ダルトリー。風車のように腕をぐるぐると回し、縦横無尽に跳びはねながらギターを弾くピート・タウンゼント。 仁王立ちで複雑なフレーズをクールに弾きこなすベーシストのジョン・エントウィッスル。そして、パワフルで独創的なリズムをツーバスドラムでたたき出すドラムのキース・ムーン。「ザ・フー キッズ・アー・オールライト」©Who Group Ltdカバーバンドからモッズのヒーローへ ザ・フーの母体は、ロンドンのとある中学校を卒業したロジャーが63年に結成した「ザ・デトゥアーズ」である。同級生のジョンをベーシストに、同じく学友だったピートを誘い込んで活動を始めるが、同名のバンドがあることを知り、ザ・フーに改名。 当初はベンチャーズやシャドウズ、ビートルズなどのカバーを演奏していたようだ。マネジャーのピーター・ミーデンがモッズ族の一人だったことから、ザ・フーをモッズのヒーローに仕立てようとし、メンバーにモッズが好む細身のジャケットやズボン、ボタンダウンシャツなどを提供する。 ドラマーの入れ替わりが続いていた64年のある日、彼らのギグにジンジャー色のヘアをしたモッズスタイルの若者が現れた。「ドラムは自分の方がうまい」と言ってステージで演奏を披露し、勢い余ってバスドラを壊してしまう。 メンバーは彼のパワフルさが気に入り、正式に迎え入れた。このドラマーが当時17歳のキース・ムーンである。「ザ・フー キッズ・アー・オールライト」©Who Group Ltd過激パフォーマンスに観客熱狂 64年に本格的に活動を開始したザ・フーは毎週火曜日のクラブマーキーでライブを行った。クラブに集まるモッズ族を興奮させようと、ロジャーはマイクを振り回し、ピートは片腕をぐるぐる回してギターを弾き、演奏が終わるとギターをマイクで擦ったり、アンプにたたきつけたりして、機材を破壊した。 ムーンも喜々としてドラムを崩し、倒すという過激なパフォーマンスを始めた。この型破りなスタイルが評判を呼び、ひと目彼らの破壊アートを見ようと火曜のマーキーはモッズたちで満杯になった。 そして65年「アイ・キャント・エクスプレイン」が全英チャート8位に。続いて「マイ・ジェネレーション」が2位となり、大ヒット。ザ・フーの名をスターダムへと押し上げた。「ザ・フー キッズ・アー・オールライト」©Who Group Ltdテレビ番組でドラムが大爆発 さて、このドキュメンタリーは、67年のアメリカのテレビ番組「スマサーズ・ブラザーズ・ショー」で彼らがやらかしたとんでもないシーンから始まる。 ヒット曲「マイ・ジェネレーション」の演奏が終わると、ピートはいつものようにアンプにギターをたたきつけた。その瞬間、ドラムが爆発。キース・ムーンはドラムに規定以上の火薬を仕込んでいたのだ。 ピートとジョン、キース本人も鼓膜を損傷したものの、この衝撃的なパフォーマンスでアメリカでもザ・フーの名前が知れ渡った。 ピートは毎回ステージで行う「破壊」についてこう語っている。「自分たちは色気のないバンドで魅力不足。だからファッションに凝り、ギターを壊した」と。「ザ・フー キッズ・アー・オールライト」©Who Group Ltdステージで大騒ぎすれば客は興奮する また、いつもふざけてばかりいるキース・ムーンも真顔でこう語る。「どれだけ努力しても客は音楽の質なんて理解できない。ステージで大騒ぎすれば、客は興奮する。単純なことさ」と。 生命力いっぱいに演奏した後は、その熱いエネルギーの延長線上で、ピートとキースはとにかく、壊す。次々と、容赦なく壊す。 ギグのたびに機材を壊すものだから、やがて彼らは「世界一リッチな破壊者」と呼ばれるようになった。オーバードーズで死んだキース・ムーン ステージで楽器を破壊するだけなら、アートパフォーマンスで済まされる。しかし、ステージを降りた後もドラッグを摂取しながら破壊行動に出たのがキース・ムーンだった。 元々やんちゃだった彼は、ホテルの部屋を破壊し、テレビを投げ捨て、プールにリンカーン車を沈め、退屈だと言って自宅の窓をライフルで吹き飛ばし、人の家に車ごと乗り入れて住人にドラッグを勧め、パーティーでは全裸になって大騒ぎをした。 ミック・ジャガーがキース・ムーンの誕生日パーティーに出向いた時、全裸のキースを見て、踵(きびす)を返して帰っていったという逸話もある。 こうした一連の奇行で、キース・ムーンは「破壊王」というあだ名がついた。メンバーたちの心配もよそに、キースの型破りな性分は過剰なドラッグで増長し、78年9月、彼はポール・マッカートニー主催のパーティーに参加した夜、オーバードーズで息を引き取った。キース・ムーン、31歳のことだった。反骨精神と先鋭的スタイル この映画は64年のデビューから、キースが「無法の世界」の演奏で渾身(こんしん)のパフォーマンスを見せる78年までのステージとインタビューがアトランダムに繰り広げられる。 ザ・フーは、ビートルズほどポップでもなく、ストーンズのようにR&Bに傾倒していたわけでもない。しかし、ザ・フーは反骨精神の塊であり、演奏もパフォーマンスも先鋭的だった。 「トミー」でロックオペラというジャンルを確立し、70年代にはシンセを導入してプログレ、ハードロックなど多彩なスタイルを生み出した。「ザ・フー キッズ・アー・オールライト」©Who Group Ltd英国ロックの3大バンド 革新的アプローチでブリティッシュロックの3大バンドとなったザ・フーだが、映画を見終わる頃、ザ・フーこそがその後イギリスに台頭するパンクロックのルーツだったことに気づく。 「老いる前に死にたいね」と攻撃的に歌詞を吐き出す「マイ・ジェネレーション」や、人々を傷つける革命に異を唱え「二度と騙(だま)されないぞ」と歌う「無法の世界」にはパンクのスピリットが満ち満ちている。 セックス・ピストルズの仕掛け人、マルコム・マクラーレンもスインギング・ロンドンの空気を吸い込んでいたし、ジョーイ・ラモーンは66年にザ・フーのギグを見て感動したと発言してもいる。 また、「ジェネレーションX」のネーミングは、ザ・フーの「マイ・ジェネレーション」からインスパイアされてのことだろう。NYプレミア 映画館破壊に「大成功だ」 なお、今回日本で初公開される映画「ザ・フー キッズ・アー・オーライト」にはこんなエピソードがある。パンクロックのエネルギーであふれかえる79年のニューヨークでプレミアム公開された時のこと。 映画に触発されたニューヨーカーたちが映画館を破壊し始め、大騒ぎになった。その場に居合わせた映画監督のジェフ・スタインは「大成功だ!」と大喜びしたと伝えられている。(北澤杏里)【時系列で見る】【前の記事】沖縄出身音楽家が「宝島」に聞いた 理不尽な現実嘆く悲しみの“なんくるないさ”関連記事あわせて読みたいAdvertisementこの記事の特集・連載現在昨日SNSスポニチのアクセスランキング現在昨日1カ月アクセスランキングトップ' + '' + '' + csvData[i][2] + '' + '' + '' + listDate + '' + '' + '' + '' + '' + '' } rankingUl.innerHTML = htmlList;}const elements = document.getElementsByClassName('siderankinglist02-tab-item');let dataValue = '1_hour';Array.from(elements).forEach(element => { element.addEventListener('click', handleTabItemClick);});fetchDataAndShowRanking();//]]>