「一歩でも前に」 復旧道半ばも復興へ前向く被災者 能登豪雨1年

Wait 5 sec.

従業員やボランティアと黙とうする本谷一知社長=石川県輪島市で2025年9月21日午前9時32分、島袋太輔撮影 能登半島地震の被災地に線状降水帯が襲い、大きな被害を出した豪雨災害から21日で1年となった。二重被災の傷痕は今も奥能登地方のあちこちに残り、本格的な復旧も道半ばだ。石川県内の各地では追悼の祈りがささげられ、被災者からは「一歩でも前に」と復興への願いが聞かれた。【島袋太輔、中尾卓英、岩本一希、衛藤達生】 被災地では、豪雨が最も激しかった時間帯に合わせ黙とうが呼びかけられた。 輪島市町野町の「もとやスーパー」の本谷一知社長(47)は、午前9時半の防災無線による呼びかけに合わせ黙とうした。地区唯一のスーパーは、地震で被災したものの営業を続けていたが、豪雨で店内に濁流が流れ込み、めちゃくちゃになった。本谷さんは「長い1年だったが、今は『さあ、やるぞ』と前を向いている」と話す。来年には店舗を改装する予定で、「これからがスタート。希望の光になるように挑戦したい」と力を込めた。Advertisement その後、正午から臨時災害放送局(災害FM)「まちのラジオ」の特別番組が放送され、豪雨で姉の美紀さん(当時31歳)を亡くした中山真さん(29)が出演した。姉の美紀さんを亡くした中山真さんは災害FM「まちのラジオ」の生放送番組で声を詰まらせながら美紀さんへの思いを語った=石川県輪島市で2025年9月21日午後2時37分、岩本一希撮影 美紀さんは穴水町の勤務先から車で輪島市の仮設住宅に帰る途中で行方不明に。能登町の県道で車が見つかり、約1カ月後に遺体が発見された。 放送で中山さんは、美紀さんが「行ってきます」と自宅を出て行った時のことを振り返り、「まさか、別れの言葉になるとは思わなかった」と悔やんだ。 この日は車に残されていた姉の黒いカバンを携え、マイクの前に座った中山さん。「節目の日に持ってくるのが当然かなって。一緒にいる感覚」。放送後、「姉には『頑張って生きとるよ』と伝えたい。空に届くように」と姉に思いをはせた。    ◇輪島市久手川地区で黙とうする馳浩・石川県知事や坂口茂市長ら=石川県輪島市で2025年9月21日午前9時45分、岩本一希撮影 塚田川が氾濫し、喜三翼音(きそはのん)さん(当時14歳)ら4人が亡くなった輪島市久手川町では、馳浩知事や坂口茂市長らが黙とうをささげた。 報道陣の取材に馳知事は「昨年のこの時間帯に、(犠牲者は)どれほどの恐怖を感じておられたのか。その思いを共有したいと思った。改めて関連死を含めて亡くなられた19人の方に哀悼の誠をささげた」と語った。 また、「ようやくここまで持ち直すことができた」と、全国からの支援に感謝した上で、「まだまだ復旧の途中で復興には届いていない。業者の不足や資材の高騰などあるが、一日一日、復興に進むよう、関係機関と連携していきたい」と述べた。坂口市長も「(防災無線が雨音で聞こえない場合に備えて)LINE(ライン)や消防車による広報にも努めていきたい」と語った。豪雨災害で甚大な被害が出た輪島市久手川地区で亡くなった喜三翼音さんの自宅跡=石川県輪島市で2025年9月21日午前7時49分、岩本一希撮影 地区には早朝から花を手向ける人たちが訪れた。近くに住んでいた加部涼子さん(79)は、亡くなった井角祐子さん(当時68歳)や喜三さんらのことを思い浮かべながら花を手向け、手を合わせた。 井角さんとは直前まで電話で話していたといい、「家の前が川になっている」という言葉を最後に電話が切れてしまったという。「ドライブなどでいっぱい連れ出してくれて、思い出を作ってくれてありがとうと語りかけた」と話した。 豪雨で流された喜三さんの小学校卒業記念DVDを見つけたNPOと協力して、家族の元に返した木下京子さん(64)は「(喜三さんの)写真や動画を見るとキラキラしていた。未来がたくさんあったはずなのに残酷だ」と早すぎる死を悼んだ。    ◇ 奥能登地方では、2024年9月20日夜から22日まで激しい雨が続いた。特に21日午前は、同県輪島市で1時間に121ミリの降水量が確認された。1日雨量は400ミリを超え、山地から海までの距離が短い中小河川が土砂混じりの濁流となり、流域を襲った。 石川県のまとめ(19日時点)では、災害関連死を含む死者は輪島市13人、珠洲市4人、能登町2人。住家被害は1901棟に上る。24年元日の能登半島地震から9カ月余りで仮設路での復旧が進められていた国道249号もあちこちで寸断し、復興のプロセスが大幅に遅れる「複合災害」となった。    ◇ 昨年9月の能登豪雨で姉の美紀さんを亡くした中山真さん(29)は、1年を迎えるのに合わせ放送された臨時災害放送局(災害FM)「まちのラジオ」の特別番組で、姉に宛てた手紙を読み上げた。全文は以下の通り。 僕の姉、美紀へ。今日、9月21日で奥能登豪雨から1年が経(た)ちました。そして、僕の姉の命日です。 いなくなったこの1年間は、本当に家族や親戚全員で惜しみました。1年経った今でも夢なんじゃないかと思ってしまいます。 だけど、自然災害で、亡くなってしまった以上、思いたくはないんですけど、運命だと思うしかありません。 小さい頃、家族と親戚でディズニーランドに遊びに行って、イッツ・ア・スモールワールドやスプラッシュ・マウンテンで思い出を作ったこと。 知り合いからゴールデンレトリバーの犬をいただいて、時間がある時に一緒に家の近くを散歩したこと。 休みが合えば、必ずと言ってもいいぐらい一緒に映画を見に行ったこと。 一緒にゲームをして遊んで楽しんだこと。くだらない話をして、お互いに心の底から笑い合って楽しんでこと。 僕が落ち込んだ時に寄り添ってくれて、背中を押してくれたこと。 本当に、本当に31年間、一緒にいてくれてありがとう。空の上から見守っとってね。よろしく。