失職後も泣きながら飲んだ アルコール依存症、立ち直ったきっかけは

Wait 5 sec.

千葉断酒新生会の例会で話をする塩川裕昭さん=千葉市花見川区の幕張公民館で2025年7月10日、高橋晃一撮影 つらい現実を忘れるために寝酒を始め、そのうち昼から酒の匂いを漂わすように。職を失ってもなお、泣きながら飲み続けた――。塩川裕昭さん(59)はアルコール依存症に苦しみ、依存症の当事者らが集う「断酒会」にたどり着いた。それから25年、酒を口にしていない。現在は県断酒連合会の理事長を務める塩川さんに依存症とどう向き合えばいいのか尋ねた。【高橋晃一】 ――なぜアルコール依存症になったのですか。 ◆浪人の末に医学部を諦めたことへの現実逃避で、20歳ごろから酔い潰れるまで飲むようになりました。大学で弁護士を目指して勉強に力を入れると寝付けなくなり、寝酒が習慣に。20代後半には毎晩、缶ビール5、6本くらい飲み、日本酒1升を開けることもありました。Advertisement ――その頃、飲酒運転で事故を起こしたそうですね。 ◆いつものように数本の缶ビールを飲んだ後、買い物ついでに海でも見に行くつもりでした。前の車が停車したことに気づかず追突し、相手にけがを負わせてしまいました。親と一緒に土下座して謝り、相手から「弁護士に向いていない」と言われたことを忘れられません。人の役に立つため目指していたのに、迷惑をかけて、矛盾を感じました。 ――事故で飲み方に変化がありましたか。 ◆相変わらずでした。酒のせいで生きづらいことは百も承知だけど、やめられないでいました。 勉強がうまくいかないことに悩み、心療内科で周期性うつ病と診断されました。抗うつ薬や睡眠薬など多いときで7、8種類の処方薬を飲み、薬への依存も高まりました。 30代で学校司書になりますが、酒の匂いをまとって出勤し、上司や同僚に白い目で見られ、ついに教育委員会に呼び出されて、35歳で退職です。最後は泣きながら飲み続けていました。 ――立ち直るきっかけは何でしたか。 ◆周りの助けです。仕事を辞めたころ、家族から市内の医療施設でアルコール依存症の治療を受け、断酒会に入るよう勧められました。入会して半年は飲みたいのを我慢していたけど、酒のせいでこんなことになって、もう飲みたくもなかったです。 一念発起してスーパーで働き始めると、仕事で人とコミュニケーションをとるようになり、もっと話をする場が欲しくなりました。県内各地の断酒会に連日参加して思う存分話していると、だんだん気持ちが楽になっていき、次第に断酒会の仕事を任せられるように。そのころにはもう酒を欲しいと思わなくなりました。 ――断酒会では、どのような活動をするのですか。千葉断酒新生会が毎週行う例会の風景=千葉市花見川区の幕張公民館で2025年7月10日、高橋晃一撮影 ◆私の参加する千葉断酒新生会では週に1回、アルコール依存症の本人や家族が集まり、おのおのが「酒害」(アルコール依存症によって生じる心身や人間関係などへの悪影響)の体験を語ります。話すことで客観的に距離をとって自分を見ることができますし、他の人の体験を聞くことで「自分だけではない」と共感し、相談相手が見つかります。誰かが講師になって指導するのではなく、あくまでも参加者が語り合う場。安心して話せる環境にするため、語られたことは外に出さない約束です。 ――どうすればアルコール依存から抜け出せますか。 ◆まずは依存症を自覚することです。自覚しないと治療につながらないし、酒をやめようという動機も持てない。独りで悩みを抱え込まず、周りの人に助けを求めるのが楽になる秘訣(ひけつ)。ぜひ断酒会に相談してほしいです。しおかわ・ひろあき 1965年生まれ。千葉市花見川区在住。35歳ごろまでアルコール依存症で悩んだ。2001年に千葉断酒新生会に入会し、14年に会長に。22年から県内16の断酒会をたばねる県断酒連合会の理事長を務める。