フードライターの浅野陽子さんが25年正月に用意したおせち料理。黒豆やきんとんといった定番品のほか、裏白や南天、松葉といった正月飾りも食卓に並んだ=本人提供 お正月といえば、「おせち料理」だ。 長寿や家内安全の願いを込め、色とりどりの食材を重箱に詰めるおせちは、正月に欠かせない縁起物、というイメージが定着している。 かつては三が日に炊事を休むための保存食の意味もあったというが、品数も手間ひまのかかるメニューも多い。Advertisement 年末になると、交流サイト(SNS)で「おせち作りがゆううつ」ともらす女性もいる。 中には、家族が食べないと分かっていても、おせち作りがやめられない……と苦しむ人すらいるようだ。 かくも女性を悩ませるおせち、どう向き合えばいいのか考えた。「義務感で作ってしまう」正月を前に最盛期を迎える冷凍おせち=大阪府貝塚市で、村田貴司撮影 <できれば作りたくない。作りたくなければ作らなければいいと頭では分かっているのですが、実際には毎年義務感のように作っていました> 正月が迫る師走、SNS(交流サイト)に吐露したのは九州に住む60代の新木琴葉さん=仮名=だ。 子どものころから、毎年母とおせち料理を作った。両親と弟の4人家族だが、母は娘だけを台所に呼び、手伝うよう求めたという。 「煮物、煮豆、昆布巻き、なます、キンカンの甘露煮……三が日を過ぎても余るのに、母は毎年作り続けていました。内心では反発していて、『なんでこんなに作るの?』という言葉が喉元まで出かかっていました」なぜ苦手だったのか ところが、結婚して実家を出た後も、新木さんがおせち料理を作らない年はなかった。 「おせち料理は注文するもの、と言ってもいい時代なのかもしれませんが、何かに縛られているような感覚でやめられない。年末になると、台所に立ちながら『今年もまたやっている』と考えていました」 食材を12月28、29日ごろに全てそろえて、30日と大みそかに作り上げる。小分けにし、重箱に詰めて親族の集まりに持って行く。新木琴葉さん(仮名)はおせち料理づくりを「卒業」し、元日にはお雑煮を作っている=本人提供 「短期決戦のような」年末を過ごす新木さんを、夫や息子が手伝うことはなかった。 「家族が食べ残しても、そういうものだと思っているので怒りはありませんでした」 おせち作りから「卒業」したのは、息子が巣立ち、離婚して一人暮らしになってから。 しばらくは「罪悪感」を抱えていたという。 「私はおせちを作る時間が苦手でした。それは、私の中に残っていた『昔からの当たり前だと思い込まされてきた考え方』の問題ではないかと思えるようになりました。作らなくても私の価値に影響はない、今はそう思えます」 好きなものを食べて新年を祝おう。肩の力が抜けた新木さんは、元日にはお雑煮を作り、「子どもが帰省する年は煮しめや黒豆くらいは作ったり買ったり」して過ごすようになった。「おせち離れ」若い世代ほど開店と同時に長い列ができたおせち料理の予約窓口=北九州市小倉北区で2025年9月10日午前10時3分、橋本勝利撮影 実際、おせち料理を食べる人は年々減っている。 「博報堂生活定点1992-2024」によると、「おせち料理を食べる」と回答した20~60代の割合は1992年で86・6%だったが、2024年には63・1%まで減った。 また、博報堂の24年調査では60代の72・4%が「食べる」とした一方、20代は51・0%と半数にとどまった。 水産加工会社「一正蒲鉾」が今年10月、20~60代の女性1000人を対象に行ったインターネット調査では、「全く食べない」「食べる年と食べない年がある」と答えた人に複数回答で理由を尋ねたところ、「おいしくないから」28・4%▽「食材の値段が高いから」26・9%▽「準備が面倒」25・1%――といった回答が並んだ。昭和から令和 変わらぬ価値観 「おせち料理ほど、作った人の労力と食べる人の喜びが合致しない料理はない」 フードコーディネーターの資格を持ち、「食」の取材経験も豊富な文筆家の浅野陽子さん(51)はおせちをそう表現する。毎日新聞の取材に応じ、おせち料理と女性について語った食専門の文筆家・浅野陽子さん=東京都杉並区で2025年12月11日午後2時34分、山本萌撮影 浅野さん自身、21年正月にブログで「手作りおせちからの卒業」を宣言したにもかかわらず、翌年以降も「なるべく手をかけず」に用意し続けてきたというのだから、驚きだ。 年末になるとなぜか「正月には日本人として用意しなきゃいけないという強迫観念」にかり立てられるのだという。 浅野さんは、おせち作りがやめられない女性の心理をこう推しはかる。 「より一層『映え』が重視される世の中になりました。おせち料理を用意しなかった人はSNSのおせち料理の投稿を見て自責の念を抱く場合もあるでしょう。一方で用意して疲れ切っている人もいる」 そもそも、家庭内で料理の負担は女性に偏っている。国立社会保障・人口問題研究所が23年8月に公表した全国家庭動向調査でも、家事頻度の割合は夫よりもすべての項目で妻の方が大きい。 そして妻が最も負担していたのが「炊事」だ。「毎日・毎回」担っていると答えた人は女性で86・5%に上った一方、男性は6・6%にとどまる。自分の価値観を優先しよう「料理は女性がするもの」という価値観は今も昔も変わらないのだろうか(写真はイメージ)=1973年撮影 浅野さんは、今秋ヒットしたTBS系ドラマ「じゃあ、あんたが作ってみろよ」を引き合いに、「女性と料理にまつわる価値観は昔から変わっていない」とも指摘する。 このドラマは、料理上手で献身的な女性と「亭主関白」的な価値観を持つ男性のW主人公が登場する。 男性と交際するなかで女性に料理や家事の負担が偏る状況に違和感を抱く物語が共感を集めた。 「私の父は、料理を当たり前のようにこなす妻こそが理想という『昭和のお父さん』。母は、その期待に応えるのが女の幸せ、と思っているような人でした。令和のドラマの女性と昭和世代の母の精神性が全然変わっていないことに驚きました」 昭和世代の価値観の刷り込みが、令和の女性がおせちに苦しむひとつの原因なのだろう。食専門の文筆家・浅野陽子さんが25年正月に用意したおせち料理。元旦にお雑煮も作って並べたという=本人提供 「作りたい人は作ればいい。作らない選択肢もあっていい。市販品を取り入れる、百貨店などで買う、年末年始はホテルで過ごす、選択肢はいくらでもあります。これからのおせち料理との向き合い方は、私にもまだ答えは出せていませんが、人生は短い。自分のやりたいことを優先にして生きることが大事ではないかと感じています」 そして、表情を和らげてこう続けた。 「……と、なにより(結局おせち作りを続けている)自分自身にも伝えたいですね」 ひとりで作るもよし、みんなで分担するもよし、丸ごと買うのも、食べないのもよし。2026年は、みんなが和やかに過ごせる正月を迎えられますように。【山本萌】