毎日新聞 2025/12/28 08:00(最終更新 12/28 08:00) 有料記事 2077文字ポストみんなのポストを見るシェアブックマーク保存メールリンク印刷事件の2年後、遺族らが開いた記者会見で並べられた宮沢みきおさん一家の写真=東京都千代田区の弁護士会館で2002年12月16日午前11時59分、尾籠章裕撮影 事件が発覚し、110番が入った時刻の3分前のことだった。 2000年12月31日午前10時53分、住宅街にあるセブン―イレブンの前を、1人の男性が駆けていった。 一家4人が殺害された東京都世田谷区上祖師谷3の宮沢みきおさん(当時44歳)宅から数百メートル。京王線仙川駅の方へ向かう姿は今も1枚の写真に残されている。 身長180センチくらいのやせ形。青いハーフコートと黒いズボンを着ていた。 これが事件で、防犯カメラが捉えた数少ない「疑わしい」人物の姿だった。【菅健吾、朝比奈由佳、松本ゆう雅】 未解決のまま25年たつ世田谷一家殺害事件について、前編・後編2本の記事をアップします。 前編:「鑑」を追え 名刺や会葬者、昔の彼女まで駅にもなかった防犯カメラ 18台。それが事件後に警察がデータを押収した防犯カメラの台数だ。 現場周辺では、コンビニ15台、パチンコ店1台、郵便局1台。「駆ける男性」以外のめぼしい人物は、映っていなかった。 残る1台は、少し離れた東京・吉祥寺のスーパーに設置されていた。この店では事件前日、殺害に使われたものと同じ種類の包丁が買われていた。 ある捜査員は「当時の防犯カメラは(店の)外に向いていなかった。ブラウン管テレビの時代で画質も悪く、今と全く別物」と話す。 「カメラ捜査」は当時、ほとんど力を発揮しなかった。 捜査関係者によると、現場から比較的近い京王線と小田急線の計4駅にも防犯カメラはなかった。 「あの頃は、カメラがあるのは新宿駅くらいだった」(捜査員) 駅にカメラが本格導入されたのは、京王線が01年4月以降、小田急線は03年以降だという。「もう一度最初から」遺族の思い 事件か…この記事は有料記事です。残り1368文字(全文2077文字)あわせて読みたいAdvertisementこの記事の特集・連載この記事の筆者現在昨日SNSスポニチのアクセスランキング現在昨日1カ月アクセスランキングトップ' + '' + '' + csvData[i][2] + '' + '' + '' + listDate + '' + '' + '' + '' + '' + '' } rankingUl.innerHTML = htmlList;}const elements = document.getElementsByClassName('siderankinglist02-tab-item');let dataValue = '1_hour';Array.from(elements).forEach(element => { element.addEventListener('click', handleTabItemClick);});fetchDataAndShowRanking();//]]>