「想定外」必ずある 海外の大地震研究でたどり着いた「防災計画学」

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毎日新聞 2025/12/28 07:01(最終更新 12/28 07:01) 有料記事 3259文字ポストみんなのポストを見るシェアブックマーク保存メールリンク印刷阪神大震災で橋脚部分から横倒しになった阪神高速神戸線=神戸市東灘区深江本町で1995年1月17日、本社ヘリから撮影 1995年1月に起きた阪神大震災で、神戸大名誉教授の室崎益輝(よしてる)さん(81)は震度7の強震を想定できず、甚大な被害が出てしまったことを悔いていた。 震災から半年余りが過ぎた頃、研究室にこんな電話がかかってきた。 「父が(地震で)死んだのはあんたのせいだ」 遺族の女性からだった。 室崎さんは「今後は考えられる被害を事前に想定し、より安全な社会をつくっていかねば」と思うようになった。 この頃、大きな転機が訪れる。米国にいる友人の研究者から「米国の被災地の調査に来い」と誘いがあった。室崎さんは被害調査の最中で、まだ全体像がつかめていない。そんな余裕は全くなかった。ただ、友人の言葉が心に引っかかった。「復興の参考になるかもしれない」。翌96年、米国に向かった。「どんな街にしたいか」住民の思いもとに 行き先はカリフォルニア州サンタクルーズ市。89年、60人超が死亡したロマプリータ地震の被災地だ。 「ビジョン・サンタクルーズ」。現地でそんな言葉を聞き、日本との違いに驚いた。 「どんな街にしたいか」「こんな施設がほしい」。市は住民が参加できる会合を開き、意見を出し合ってもらう。その議論を前提に復興までの計画を立てていた。それはまるで「街を舞台にした物語」のようだった。その復興計画の名称が「ビジョン・サンタクルーズ」だった。 阪神大震災の被災地では復興に向け歩み出していた。ただ、当初は区画整理や再開発などを自治体がトップダウンで決めていた。住民の意見の反映は…この記事は有料記事です。残り2623文字(全文3259文字)あわせて読みたいAdvertisementこの記事の筆者すべて見る現在昨日SNSスポニチのアクセスランキング現在昨日1カ月アクセスランキングトップ' + '' + '' + csvData[i][2] + '' + '' + '' + listDate + '' + '' + '' + '' + '' + '' } rankingUl.innerHTML = htmlList;}const elements = document.getElementsByClassName('siderankinglist02-tab-item');let dataValue = '1_hour';Array.from(elements).forEach(element => { element.addEventListener('click', handleTabItemClick);});fetchDataAndShowRanking();//]]>