岩手・宮古の戦争体験記録を刊行 高齢化で活動休止検討も継続模索

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毎日新聞 2025/12/29 13:15(最終更新 12/29 13:15) 1137文字ポストみんなのポストを見るシェアブックマーク保存メールリンク印刷「宮古・下閉伊地域の戦争を記録する会」が刊行した「戦争の時代を生きて」の第1集(左)と最新刊の第10集=2025年12月25日、奥田伸一撮影写真一覧 岩手県中部沿岸の宮古市と周辺住民の戦争体験を収めた記録集「戦争の時代を生きて」の第10集が完成した。市民団体「宮古・下閉伊(しもへい)地域の戦争を記録する会」が、2016年から太平洋戦争開戦日の12月8日に刊行してきた。戦後80年の今回で区切りをつける予定だったが「若い世代に伝えよう」と活動継続を模索している。 「登校するとすぐに全生徒が講堂に集められ、校長先生が『日本軍は真珠湾で奇襲攻撃を敢行し、米国と交戦状態に入った』と話された」Advertisement 「大半の生徒は喜んだが、私は小国の日本が簡単に勝てるのかと不安で喜べなかった」 第10集に体験談が掲載された宮古市に住む98歳の女性は、1941年の開戦当日の様子や心境を率直につづった。「戦争の時代を生きて」第10集に掲載された宮古市の98歳女性の体験談=2025年12月25日、奥田伸一撮影写真一覧 女性は開戦から3年半余りたった45年8月15日、勤労動員された青森県内の工場で終戦を迎えた。「ラジオ放送は雑音が大きく内容は分からなかったが、将校たちが泣きだし『戦争に負けた』と小声で伝わってきた」。集まっていた人は皆ぼうぜんと無言で立ち尽くしていた――。 第10集にはこの女性らの戦争体験に加え、戦死した父親の思い出など17人の寄稿や聞き書き文を掲載した。第1集からの合計では計156人分になった。 「原稿作成など毎回苦労したが、なんとか続けてこられた」 「宮古・下閉伊地域の戦争を記録する会」の前川慧一(けいいち)代表(87)はこの10年間を振り返る。 前川さんは県南部沿岸の釜石市出身。2011年の東日本大震災による津波で自宅が全壊し、13年に長女が暮らす宮古に引っ越した。釜石では米英軍の艦船による「艦砲(かんぽう)射撃」などの戦災記録集を発行していた。宮古に転居後、新たに知り合った人と15年末に記録する会を結成し、翌年から記録集を刊行している。「戦争の時代を生きて」第1~10集と「宮古・下閉伊地域の戦争を記録する会」代表の前川慧一さん=岩手県宮古市で2025年12月23日、奥田伸一撮影写真一覧 記録する会の会員は約30人で、今回は11人が編集に携わった。50代が最も若く過半数が70代以上で、最年長の前川さんが設立時から代表を務めてきた。会員の高齢化で作業の負担感が大きくなってきたため、第10集を節目にするつもりだった。 しかし世界ではウクライナやパレスチナなどで戦火がやまない。国内でも排外主義的な主張が勢いを増す中、「戦争が起きたらどうなるのか、特に若い世代に伝える必要がある」と継続を検討することにした。記録集に合わせて開いてきた報告会の参加者が今回増えたことも背中を押した。 次回の編集方針は未定だが、掲載本数を減らすなど刊行可能な形を探る考えだ。前川さんは「若い人にリーダーシップを取ってほしい。助力は惜しまない」と話す。 第10集は400部作成し、宮古市と周辺の書店で販売する予定。1000円。問い合わせは記録する会事務局(080・1816・1886)。【奥田伸一】あわせて読みたいAdvertisement現在昨日SNSスポニチのアクセスランキング現在昨日1カ月アクセスランキングトップ' + '' + '' + csvData[i][2] + '' + '' + '' + listDate + '' + '' + '' + '' + '' + '' } rankingUl.innerHTML = htmlList;}const elements = document.getElementsByClassName('siderankinglist02-tab-item');let dataValue = '1_hour';Array.from(elements).forEach(element => { element.addEventListener('click', handleTabItemClick);});fetchDataAndShowRanking();//]]>