高度経済成長支えた晴海鉄道橋が遊歩道に 歴史伝えるランドマーク

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毎日新聞 2025/12/27 09:15(最終更新 12/27 09:15) 1021文字ポストみんなのポストを見るシェアブックマーク保存メールリンク印刷遊歩道に生まれ変わった旧晴海鉄道橋=東京都江東区で2025年9月19日午前10時43分、柳澤一男撮影写真一覧 高度経済成長期に都内臨海部の産業を支えた貨物線「臨港鉄道東京都港湾局専用線晴海線」の橋りょうだった旧晴海鉄道橋(江東、中央区)が遊歩道に生まれ変わった。整備を終え、9月から通行できるようになった。貨物線廃止から36年間、野ざらしになっていたが、歴史の一端に触れられる憩いの場になった。 鉄道橋付近の晴海・豊洲地区は現在、タワーマンションや大型商業施設、オフィスビルが建ち並ぶが、かつては造船所や倉庫、工場、発電所などが集まる工業地帯だった。都は石炭やコークス、食料品などの荷物を鉄道で運搬するため、国鉄の旧越中島貨物駅と同地区を結ぶ専用線を1953~59年、順次開通させた。鉄道橋はこのうちの一つ、晴海線の橋りょうとして57年に完成した。Advertisement旧晴海鉄道橋写真一覧 都港湾局によると、鉄道橋は長さ190・3メートル、幅約3・8メートル。両端はコンクリート造りで、中央部分はアーチ橋の一種で厚い橋桁が特徴の「ローゼ橋」と呼ばれる構造となっている。 晴海線は当時、主に大豆や小麦、新聞用紙などが運ばれた。長い貨車がつなげられた機関車が行き交ったという。最盛期の昭和40年代、三つの路線を合わせた年間輸送量は170万トンに達した。遊歩道周辺はタワーマンションなどが建ち並ぶ=東京都中央区で2025年9月19日午前10時47分、柳澤一男撮影写真一覧 しかし、昭和50年代に入ると陸送はトラックなど車中心となり、専用線での輸送量は年々減少した。このため、85年から順次廃止され、最後まで残った晴海線も89年に役目を終えた。その後、工場などが次々と撤退し、タワーマンションやオフィスビルなどに姿を変えていった。晴海ふ頭には2021年に開かれた東京オリンピック・パラリンピックの選手村が造られた。 鉄道橋は廃止後、そのまま放置されていたが、17年に策定された都の「海上公園ビジョン」で東京湾の歴史を伝えるランドマークにする計画が決まり、付近の春海橋公園の一部として遊歩道に再整備されることに。耐震補強し、線路を残したままウッドデッキを敷設。橋の途中に透明なガラス板をはめ込み、当時の枕木や線路が見えるようにした。また、バリアフリー化のため段差をなくし歩行者用の手すりを付けた。橋のシンボルとなるアーチ部分は往時の色を再現し、青緑色に塗装し直した。 付近のタワーマンションの住民が日常生活で使用することもあるといい、日没後はライトアップもしている。同局の担当者は「鉄道橋だったころを感じられるように再整備した。ぜひ多くの方に歩いてもらい、歴史に思いをはせる機会にしてもらえれば」と話す。【柳澤一男】あわせて読みたいAdvertisement現在昨日SNSスポニチのアクセスランキング現在昨日1カ月アクセスランキングトップ' + '' + '' + csvData[i][2] + '' + '' + '' + listDate + '' + '' + '' + '' + '' + '' } rankingUl.innerHTML = htmlList;}const elements = document.getElementsByClassName('siderankinglist02-tab-item');let dataValue = '1_hour';Array.from(elements).forEach(element => { element.addEventListener('click', handleTabItemClick);});fetchDataAndShowRanking();//]]>