「全人生を賭した」日本人写真家 米テキサス大に作品収蔵

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毎日新聞 2025/12/27 12:00(最終更新 12/27 12:00) 1024文字ポストみんなのポストを見るシェアブックマーク保存メールリンク印刷自宅庭でポーズを取る写真家の江成常夫さん=相模原市中央区で2025年12月4日、小出洋平撮影写真一覧 第二次世界大戦で日本が国内外に残した爪痕を記録し続けてきた写真家、江成常夫さん(89)の600点以上の写真群や関連資料が、昨年までに米大学付属機関に収蔵された。「全人生を賭した写真が次世代に残り、日本の歴史を語り継ぐ」と江成さんは話す。 収蔵先の米テキサス大のドルフ・ブリスコー・アメリカ史センターは、アメリカの近現代を知ることに主眼を置く。出来事を考察するため、当時の新聞やメモなども保管。ベトナム戦争や湾岸戦争時の報道写真も多く収蔵する。Advertisement 江成さんの写真群などはすでに一般公開されている。センターの担当者は「第二次世界大戦は米日の共有の歴史だ。彼の写真はアメリカ史を学ぶ者に重要な研究対象となる」と収蔵の意義を説明する。 江成さんは、2・26事件が起きた1936年に生まれた。62年に毎日新聞社に入社。写真部でカメラマンとして64年の東京五輪、70年の大阪万博や71年の沖縄返還協定調印などニュースを追った。しかし、「日本はかつてない過ちを記憶から遠ざけようと、経済発展で走り続けた」との思いが残り、74年に退社し写真家の道を選んだ。 80年代以降、終わらない戦後を問いかける作品群を次々と送り出す。「花嫁のアメリカ 歳月の風景 1978-1998」より。1934年静岡県出身のこの女性(中央)は、海兵隊員の夫と知り合い結婚して渡米。働きながら3男3女を育てた=1978年撮影写真一覧 「花嫁のアメリカ」(81年)では、在日米軍兵士や軍属と結婚し、渡米した日本人女性を現地で撮影。日本の家族への仕送りを続ける人、勘当状態で出国した人など複雑な事情を抱え、異国で暮らしていた人々の肖像をまとめた。「シャオハイの満洲」より。残留孤児のこの男性は、敗戦時に何歳だったのか、日本人父母の名前も分からない。親族もいつの間にかいなくなっていたという=1981年4月撮影写真一覧 「シャオハイの満洲」(84年)では、旧満州(現在の中国東北部)で暮らす残留孤児を訪ね歩いた。裕福に暮らす人は少ない。言葉が通じない同じ日本人から、しきりに名刺を求められたことが忘れられない。 米国と中国で出会った日本人は30年代生まれの同世代も多かった。戦後日本の恩恵を享受してきた江成さんは、彼らとの境遇の違いに申し訳ない思いが消えないという。農家出身の江成さんは、旧満州に自分がいたかもしれないとの思いがよぎったこともあった。 想像を絶する犠牲者を生んだ広島、長崎、沖縄、太平洋諸島も巡礼するように訪れた。江成さんの作品の底流にある「鎮魂」の思いが活動を支える。 同センターは「江成氏の写真作品は、歴史への畏敬(いけい)の念をささげることに焦点を当てている。日本人の視点を通じ、大戦の歴史と今の国際情勢を結びつける糸となる」と評価する。 重い経験を語る先人が年々世を去るなか、当時を記録した写真が人類の記憶になる。【小出洋平】【時系列で見る】関連記事あわせて読みたいAdvertisementこの記事の特集・連載現在昨日SNSスポニチのアクセスランキング現在昨日1カ月アクセスランキングトップ' + '' + '' + csvData[i][2] + '' + '' + '' + listDate + '' + '' + '' + '' + '' + '' } rankingUl.innerHTML = htmlList;}const elements = document.getElementsByClassName('siderankinglist02-tab-item');let dataValue = '1_hour';Array.from(elements).forEach(element => { element.addEventListener('click', handleTabItemClick);});fetchDataAndShowRanking();//]]>