毎日新聞 2025/12/24 07:45(最終更新 12/24 07:45) 1102文字ポストみんなのポストを見るシェアブックマーク保存メールリンク印刷DNA鑑定で父細川利男さんと判明した遺骨を徳島県職員(左)から受け取る青山誠子さん=徳島県美馬市で2025年12月23日午後4時2分、植松晃一撮影 太平洋戦争後のシベリア抑留中に死亡・埋葬された元日本兵とみられる遺骨について、厚生労働省がDNA鑑定したところ、徳島県出身の細川利男さんと判明した。細川さんの遺骨は23日、厚労省から県を介して同県美馬市に住む長女の青山誠子(さとこ)さん(86)に届けられ、細川さんは出征から80年以上の歳月を経て、愛娘の胸に抱かれた。 厚労省や青山さんらによると、細川さんは1943年に旧陸軍兵士として出征した。細川さんからは終戦後も含め2回、「元気でいるか」などと青山さんや3歳下の弟ら留守家族を気づかう手紙が届いた。出征時、4歳だった青山さんに父の記憶はほとんどなく、2通の手紙を今も大切に持っている。Advertisement 敗戦時、細川さんの所属していた歩兵第265連隊は旧満州(現中国東北部)で、侵攻してきた旧ソ連軍の捕虜となり、シベリアに抑留された。その後、48年3月にシベリア中部のクラスノヤルスクにある病院に入院中、38歳で戦病死したとされる。青山さんが9歳だった48年ごろ、留守家族には遺骨を収めた箱が届けられたが、青山さんは「学校に行っていた時で見ていないが、後で石が入っていたと聞いた」と振り返る。 一方、02年に政府派遣の遺骨収集団が旧ソ連を構成していた国の一つであるトルクメニスタンのトルクメンバシ市内の埋葬地で3柱の遺骨を収容した。うち2柱の埋葬場所には墓石があり、同年9月2日に収容した場所の墓石には、表に「陸軍伍長 細川利男之墓」、裏に「昭和弐拾参年参月八日死去行年四拾壱歳」(昭和23年3月8日死去行年41歳)と刻まれていた。DNA鑑定で父細川利男さんと判明した遺骨を抱き、感極まった表情を見せる青山誠子さん=徳島県美馬市で2025年12月23日午後4時4分、植松晃一撮影 3柱の遺骨からはDNA鑑定用の検体を採取できたことから23年、遺族と考えられる人との間で鑑定を進めたところ、1柱の遺骨について、青山さんとの親族関係が存在するとの結論が得られ、今年9月に墓石に名前が刻まれた細川利男さんの遺骨と判明した。 細川さんは出征当時、母(青山さんの祖母)、妻(青山さんの母)、青山さん、息子(青山さんの弟)の5人家族だったが、青山さん以外は他界しており、今健在なのは青山さんだけ。物心ついたころに父親はおらず、母親が戦後、青山さんらを苦労して育て上げた。青山さんも「学校から帰ると、山へまき取り、谷へ水くみ、それに畑仕事と忙しかった」と自身の人生を振り返ったうえで、「今も世界中で起こっているけど、戦争なんかしたらいかん」ときっぱり。遺骨は、母や弟が眠る墓に葬る予定という。遺骨を受け取った青山さんは「お父さん、帰ってきたよ。誠子です」と涙声で語りかけ、「86(歳)になったんよ。生きていて良かった」と、母や弟が果たせなかった「再会」を喜んだ。【植松晃一】【時系列で見る】関連記事あわせて読みたいAdvertisementこの記事の特集・連載現在昨日SNSスポニチのアクセスランキング現在昨日1カ月アクセスランキングトップ' + '' + '' + csvData[i][2] + '' + '' + '' + listDate + '' + '' + '' + '' + '' + '' } rankingUl.innerHTML = htmlList;}const elements = document.getElementsByClassName('siderankinglist02-tab-item');let dataValue = '1_hour';Array.from(elements).forEach(element => { element.addEventListener('click', handleTabItemClick);});fetchDataAndShowRanking();//]]>