韓国文学「ブロッコリーパンチ」 若手作家が伝えたい「やめる勇気」

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2025年11月23日に東京都内で開かれた「K-BOOKフェスティバル」のトークショーに登壇したイ・ユリさん(左)=K-BOOK振興会提供 韓国の文芸界で2020年に作家活動を始め、ユーモアあふれる優しいタッチで人気の若手作家、イ・ユリさん(35)。25年9月に初の邦訳本「ブロッコリーパンチ」(リトルモア)が出版された。来日したイさんに、創作の秘訣(ひけつ)や作品に込める思いを聞いた。教科書に掲載された話題作 イさんは、毎年恒例の「K―BOOKフェスティバル」に合わせて日本を訪れた。「よろしくお願いします」と日本語であいさつした後、「(日本語は)ちょっとだけです。勢いよく話されてしまうと困るのですが」とほほ笑んだ。ニコニコと笑顔で表情豊か。作品同様、優しく包み込む雰囲気がある人だ。Advertisement 「ブロッコリーパンチ」はイさん初の小説集で、短編8作品が収録されている。表題作「ブロッコリーパンチ」はある朝、彼氏の右手がブロッコリーになってしまう物語。主人公の介護士の女性が担当する高齢者との交流を通し、彼の手がブロッコリーになった理由が見えてくるのだが――。 冒頭から読者の目を引くのが、手がブロッコリーになるという発想だ。きっかけを尋ねると「スーパーでブロッコリーを買おうかなと考えていた時、ふいに手のように見えたんです」という。 また、ブロッコリーを通して植物に込めた思いもある。「私は植物が好きで、家の中には鉢植えがたくさんあります。植物は不平不満もなく、ただ生きることを考えている。シンプルに生きたいと思っている人たちは、植物のようになりたいと思うんじゃないか、と考えました」 「ブロッコリーパンチ」は韓国で、高校1年生の国語の教科書に収録されている。試験問題で出題されると、正解として紹介される作品テーマが意図したものと全く違うことがあって「作家としてはすごく面白い」そうだ。作中で手がブロッコリーになった彼氏は、実は仕事のことで悩んでいた。「仕事のストレスやつらさは扱っていますけれど、乗り越えようという話では全くない。本当にやっていてつらいことがあったらやめてもいいんだよというメッセージを書いたつもりだったのです」と明かす。「現代人に必要なのは、やめる勇気を持つことではないかと私は思います」と力を込めた。現代人が抱く悩みに寄り添ってくれるところも彼女の作品の魅力だろう。不思議な発想が次々と 大学で文学を学び、20年、京郷新聞の新春文芸に当選した。「10年間、作家としてデビューするために準備してきました。会社で当選の電話を受けた時はいたずら電話かと思いました。本当だと分かった瞬間、涙が込み上げた」と振り返る。ちなみに、イさんいわく、文学を専攻した人の就職先で多いのはマーケティング、ゲーム企画、出版社勤務。そのすべてを経験した。 デビュー作は、鉢植えから亡き父の声がする「赤い実」。今回邦訳された小説集に収められていて、韓国では昨年、短編映画も製作された。これまた不思議な発想のきっかけは実父だ。「こんな風にいうと父が亡くなったかと思われるかもしれませんが、とても元気です。一緒にドキュメンタリーを見ていたら、父がふと、自分が死んだら樹木葬にしてほしいと言い始めました。父は言葉数が多いので、樹木葬にしたらすごいおしゃべりをしてくるんだろうな、と思ったことがきっかけでした」幼いころの一人遊びが源泉 イさんが追求したいのは面白い物語だと言う。「人生はつまらないことがベースになっているので、その中でいつも面白いことを探しています」と話す。小説集の8作品はすべて、元恋人の霊が現れたり、イグアナがしゃべったりするなど、現実の社会を描く中に非日常のモチーフが顔を出す。邦訳出版された「ブロッコリーパンチ」=リトルモア提供 発想力の源泉を尋ねると、「人生の独特な経験がプラスになっているのかもしれません」との答えが返ってきた。幼稚園に入園するまで、母方の祖母が住む田舎の山奥で暮らした。「友達もいないので、一人遊びの達人になりました。自分で物語を作ったり、想像の中の友達を作ったりしていました」 小説集「ブロッコリーパンチ」は版を重ね、中国、イギリスなど海外でも翻訳されている。今後の抱負について「今は軽快な作品を書いていますが、年齢を重ねるにつれて今とは違うストーリーを書いていくのではないかな、という気がします」と語る。階級や貧困テーマに長編も 26年2月には、韓国で長編小説が出版される見通しだ。テーマは階級による差別や貧困。「結婚してから特に、この社会には目に見えない階級というものが確かに存在しているというふうに思いました。結婚すると2人で家を探し、新しい生活をスタートさせなくてはなりません。恋愛とは違う大事なことがこんなにたくさんあるんだな、と社会的問題に関心を持つようになりました」 新作長編のタイトルは「雲の上の人たち」となる予定だ。地上の不動産価格が高すぎて住めないので、雲の上で暮らすことにした人たちの話だという。「今までと違う、暗い感じのする作品になる」と話す。その発想は「ある日、ぱっと空を見ていたら雲が浮いていて、あの上に住めたらいいなと思ったところから始まりました」というから、やっぱりユニークだ。 韓国で「イ・ユリ・ユニバース」と呼ばれている独特な世界観で、現代社会を描き続けてほしい。【榊真理子】