毎日新聞 2025/12/27 07:00(最終更新 12/27 07:00) 有料記事 2571文字ポストみんなのポストを見るシェアブックマーク保存メールリンク印刷「生涯不良」を掲げ、大衆の中に身を置いた思想家の鶴見俊輔さん=京都市左京区で2007年8月17日、梅村直承撮影 戦後日本を代表する思想家であると同時に、「生涯不良」を掲げた異能の知識人だった鶴見俊輔(1922~2015年)。没後10年を記念したシンポジウムが12月上旬、横浜市の慶応大日吉キャンパスで開かれた。 「日本・中国の個の対話」と題し、日中の研究者・著述家ら9人が参加。「悪」を抱えた思想や「反教育」論、相互扶助を基盤にしたアナキズム(無政府主義)などそれぞれの関心に引き寄せながら、鶴見哲学について語り合った。日吉で過ごした「転生」の時間 「思いもよらぬ緊迫した情勢となりましたが、副題にあるように日本と中国の個の対話を実践できるなら幸いです」 日中関係が悪化する中、主催する「鶴見俊輔と戦後思想を考える会」(KONOKAI)のメンバー、批評家の片岡大右さんは冒頭であいさつした。 KONOKAIは「個の会」のローマ字表記。鶴見の思想を軸とし、それぞれの国を代表するのではなく個の立場から日中の学術・文化交流を行いたいとの思いが込められている。 シンポジウムの会場となった日吉校舎の一角には、鶴見が1945年春に短期間勤務した軍令部の翻訳部署が置かれていた。 「鶴見俊輔伝」(18年)の著書がある作家の黒川創さんは、鶴見が横浜大空襲を経験し、生きて戦後を迎えられるかも分からない中、日吉の職場で最初の著書「哲学の反省」を書き始めたという当時のエピソードを紹介。本は46年に刊行されるが、「敗戦前から戦後のことを考えていた」と語った。 また、鶴見はいずれ米国に戻って博士号をとるつもりだったが、戦後ほどなくして「日本という土地でやるべき自分の学問のスタイルがあるのではないかというカオスに陥った」。50年代半ばにその道を「転向研究」に見いだし、世界をつかみ直していく。 黒川さんはそれを「生まれ直し」と表現。「鶴見の場合、敗戦でガラッと世界が変わったのではなく、いろんな経験を重ねながら生まれ直すのに…この記事は有料記事です。残り1772文字(全文2571文字)あわせて読みたいAdvertisementこの記事の筆者すべて見る現在昨日SNSスポニチのアクセスランキング現在昨日1カ月アクセスランキングトップ' + '' + '' + csvData[i][2] + '' + '' + '' + listDate + '' + '' + '' + '' + '' + '' } rankingUl.innerHTML = htmlList;}const elements = document.getElementsByClassName('siderankinglist02-tab-item');let dataValue = '1_hour';Array.from(elements).forEach(element => { element.addEventListener('click', handleTabItemClick);});fetchDataAndShowRanking();//]]>