自己負担は300万円…パラ7大会連続出場のレジェンドが見た影と光

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毎日新聞 2026/3/5 05:00(最終更新 3/5 05:00) 有料記事 2424文字ポストみんなのポストを見るシェアブックマーク保存メールリンク印刷平昌大会の距離男子10キロクラシカル立位でフィニッシュし雄たけびをあげる新田佳浩選手=アルペンシア・バイアスロンセンターで2018年3月17日、宮武祐希撮影 冬季パラリンピックに7大会連続で出場し、金3個を含む計5個のメダルを獲得してきたレジェンドが「競技を続ける選択肢はほとんどない」とあきらめかけた時期がある。 それは初めてメダルを手にした2002年のソルトレークシティー大会後のことだった。中学生でスカウト パラノルディックスキーの新田佳浩選手(45)は岡山県西粟倉村出身。3歳のときに祖父が運転するコンバインに左腕を挟まれ、肘から先を切断した。 クロスカントリースキーを始めたのは小学3年生。健常者の大会に参加し、中学生の時には全国大会にも出場した。 「片腕の選手がいた」。1998年の長野大会に向け、ノルディックスキーのヘッドコーチとして選手の発掘と育成を担っていた荒井秀樹さん(71)がうわさを頼りに探し出し、スカウトした。 17歳で出場した長野大会で新田選手は複数の種目で入賞した。日本で初めて開かれた冬季パラリンピックは大いに盛り上がり、障害者スポーツが広く知られるきっかけとなった。 翌99年には日本障害者スポーツ協会(当時)が選手の強化を担う日本パラリンピック委員会(JPC)を組織内に設立するなど、次を見据えた体制が整ったはずだった。 ミラノ・コルティナ冬季パラリンピックの開幕を前に、第1回から半世紀を迎えた冬季大会の礎を築いた人たちの歩みを振り返ります。全3回の第3回<初の冬季金「シンデレラ」の熱狂とその後>からつづく資金不足、負担重く しかし、選手たちが直面したのは資金不足だった。 国は障害者スポーツ支援基金を作ったものの、長引く不況で運用がうまくいかなかった。パラ予算は大きくしぼみ、協会から荒井さんが監督を務めるクロスカントリーチームへの強化費は年間200万円程度にとどまった。 新田選手は筑波大にパラ選手初のスポーツ推薦で進学し、練習に励んできた。 だが、遠征費などの自己負担は年間300…この記事は有料記事です。残り1639文字(全文2424文字)【時系列で見る】関連記事あわせて読みたいAdvertisementこの記事の特集・連載この記事の筆者すべて見る現在昨日SNSスポニチのアクセスランキング現在昨日1カ月アクセスランキングトップ' + '' + '' + csvData[i][2] + '' + '' + '' + listDate + '' + '' + '' + '' + '' + '' } rankingUl.innerHTML = htmlList;}const elements = document.getElementsByClassName('siderankinglist02-tab-item');let dataValue = '1_hour';Array.from(elements).forEach(element => { element.addEventListener('click', handleTabItemClick);});fetchDataAndShowRanking();//]]>