さよならのない喪失 新型コロナ・遺族の今:あいまいさは心の負荷 つながりが喪失後の支えに

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さよならのない喪失 新型コロナ・遺族の今毎日新聞 2026/3/5 11:00(最終更新 3/5 11:00) 有料記事 2403文字ポストみんなのポストを見るシェアブックマーク保存メールリンク印刷新型コロナウイルスで大切な人を亡くした遺族らを支援する「リヴオン」代表理事の尾角光美さん=大阪市北区で2025年12月15日、森田剛史撮影 新型コロナウイルス禍では、病院で面会が制限されたり、葬儀をすることや火葬への立ち会いができなかったりするなど、亡き人と「さよなら」できない人が多くいた。一方で、故人の部屋を生前のままにしているなど、「さよなら」しない形で絆を大切にしている人もいる。2021年に「コロナ下で死別を経験したあなたへ」という冊子を製作した一般社団法人「リヴオン」代表理事で、母の自殺や兄の孤独死の経験を持つ尾角(おかく)光美(てるみ)さん(42)に聞いた。【聞き手・久保玲】<「その数の分だけ人生があった」>からつづく新型コロナウイルスのパンデミック宣言から6年。日常が戻り、コロナ禍の記憶が徐々に薄らいでいく中で、喪失を抱えながらも絆を大切に生きる遺族の今を伝えます。全5回の第5回です。過去の連載はこちらから ――尾角さんは喪失を経験した人を支援するグリーフサポートに取り組んでいますが、家族を失うことに加えて、コロナ禍で遺族に起きた喪失はどのようなものがあったのでしょうか。 ◆最期に立ち会えないことと、弔いの機会が奪われることの二つがあります。 その人が急にいなくなったと言われても信じられません。それを受け止めるプロセスの中に弔いの機会が機能してきました。 私は兄が亡くなった時、発見まで数週間たっており、警察官に「見ない方が良い」と言われて顔は見られませんでしたが、収骨はできました。火葬場の職員に「しっかりとしたお骨ですね」と言ってもらい、「お兄ちゃん、しっかりしてたんや」と存在を感じられ、それが少し救いになりました。 コロナ禍では、そのようなプロセスがごっそりと抜けていました。 ――そうした喪失ははっきりしないまま残ります。 ◆解決することも、決着を見ることも不可能な喪失体験のことを、家族療法家のポーリン・ボス博士が「あいまいな喪失」と定義しました。 あいまいさを抱え続けることはすごい負荷がかかります。重要なのは「あいまいな喪失」という名前を付けることで、こういう体験自体が苦しいものなんだと理解することです。 最期に立ち会えないことは大きなトラウマだか…この記事は有料記事です。残り1524文字(全文2403文字)【時系列で見る】【前の記事】「その数の分だけ人生があった」 風化の中で願う思い関連記事あわせて読みたいAdvertisementこの記事の特集・連載現在昨日SNSスポニチのアクセスランキング現在昨日1カ月アクセスランキングトップ' + '' + '' + csvData[i][2] + '' + '' + '' + listDate + '' + '' + '' + '' + '' + '' } rankingUl.innerHTML = htmlList;}const elements = document.getElementsByClassName('siderankinglist02-tab-item');let dataValue = '1_hour';Array.from(elements).forEach(element => { element.addEventListener('click', handleTabItemClick);});fetchDataAndShowRanking();//]]>