中田博維行方一男毎日新聞 2026/3/21 10:30(最終更新 3/21 10:30) 1865文字ポストみんなのポストを見るシェアブックマーク保存メールリンク印刷「厳しかったです」と当時を振り返るOBの公文さん(右)と談笑する下坂監督=高知県南国市の高知農グラウンドで2026年2月28日午後0時2分、中田博維撮影 第98回選抜高校野球大会に21世紀枠で初出場する高知農は、大会第3日の21日に日本文理(新潟)と対戦する。 14日の甲子園練習後に阪神甲子園球場の感想を問われた下坂充洋監督(33)は笑顔でこう答えた。 「(甲子園のグラウンドに)感動した。連合チームだった当時の選手たちに『良かったよ』と伝えたい」 数年前まで4度にわたり、他校と連合チームを組むなど部員不足に苦しんできただけに、その言葉には実感がこもっていた。Advertisement廃部からの復活甲子園のマウンドで打者を立たせて投球練習をする高知農の山下蒼生投手(後ろは下坂充洋監督)=兵庫県西宮市の阪神甲子園球場で2026年3月14日午後3時52分、中田博維撮影 高知農の野球部は廃部期間を経て約半世紀ぶりに1999年に復活した。下坂監督は大学卒業後の2015年に高知農の講師となり野球部のコーチに。教員に採用された19年からは監督として、選手に厳しい練習を課してきた。 朝は午前7時から1時間。放課後は午後4時半から午後8時までみっちりと。週末はほぼ丸一日を費やしたが、結果にはつながらなかった。 少子化に加え、農業系の高校に進む生徒自体が減っている。高知農も例外ではなく部員数は多くはなかった。それでも1学年で7~8人はいた新入部員が、21年春はゼロだった。興味を示してくれた1人も「自分だけでは……」と別の運動部へ。夏の高知大会後に8人いた3年生が引退すると、部員は2年生3人だけになってしまった。 その一人、公文翼さん(21)は「この先どうなってしまうのか。連合チームになるなら組む相手はどこになるのか、みたいなことは考えていた。それよりも心配なのは先生のモチベーションだった」と話す。 もちろん下坂監督自身もショックを受け、一時は硬式野球を諦め女子や軟式の指導者への転向も考えたという。それでも残った3人と練習する平日は、常にグラウンドに入って一緒に体を動かすなど熱心な指導を繰り返した。初めての甲子園練習でグラウンドに飛び出していく高知農ナインと下坂充洋監督(左端)=兵庫県西宮市の阪神甲子園球場で2026年3月14日午後3時半、中田博維撮影 「厳しいのは変わらなかったが、一人一人目に掛けてもらい充実していた」と公文さんは振り返る。 翌22年は1月にソフトボール部から3年生2人が、4月に1年生5人が加わり夏の高知大会には単独チームとして臨んだ。だが3年生5人が引退すると再び連合に。結局21年秋に続き、22年春秋、23年春は連合での大会出場を強いられるなど苦しい時期が続いた。練習方針の転換 それまでは練習量をこなせればそれでいいと信じていたが、「選手に無理をさせていたのでは」と悩んだ末に監督が決断したのは練習時間の削減だった。 朝の練習を取りやめたほか、平日は最短で1時間半。週末も半日にするなど休みはしっかりと休み、練習するときは集中させた。 練習中の補食やウエートトレーニングを重視すると、打球の飛距離や投手の球速が格段にアップ。手応えを感じると選手たちもより練習に前向きに取り組むようになり、成長につながっていった。学校も魅力を発信守備練習をする高知農の選手たち=高知県南国市で2026年2月1日、中川祐一撮影 学校側の理解と協力も欠かせない。中学生向けの学校説明会で農業高校の魅力を発信し、ホームページの更新頻度を上げて六つある各学科の取り組みも紹介。制服のデザインも刷新した。入学者数が増え、部員も集まるようになってきた。 部員たちによる野球教室で地元の子どもたちと交流し続けたことも部員獲得につながった。 部員が少なかった時には監督らスタッフも一緒になってグラウンドで汗を流した。人数が増えた今も農業実習で練習に全員がそろわないこともあるが、個々に寄り添った指導は続けられており、杉本仁主将(3年)も「自主練習にも付き合ってくれ、うまくなっていく楽しさを実感している」という。今大会は18人で挑む エースで3番打者の山下蒼生(あおい)投手(3年)が入学したのは「試合前のノック時の監督の声掛け」がきっかけだった。 父や長兄が在籍した高知商に進むつもりで、同校と高知農との試合を見に行った。 試合前の練習を山下投手はこう振り返る。「(監督は)いいプレーはとことん褒める。悪いプレーも『切り替えろ』と決してマイナスなことは言わなかった」。進学先を高知農に変更した。練習を終え、片付けをする高知農の選手たち=高知県南国市で2026年2月1日、中川祐一撮影 部員数が増えたといっても、今大会の選手は18人と登録可能な20人に届かない。出場32校中最少だ。 それでも杉本主将は「21世紀枠での出場は、監督が指導を頑張ってくれ、先輩方が歴史をつないでくれたからこそ」と感謝の気持ちを全力プレーで示すつもりだ。 公文さんも後輩たちの快挙を喜ぶ。「僕らの時代に『もう少し部員がいたら』という思いもあるけれど、彼らが頑張ったからこその甲子園出場。(練習時間は短くなっても)下坂先生の指導方法は間違っていなかったということですね」と話す。【中田博維、行方一男】【時系列で見る】関連記事あわせて読みたいAdvertisementこの記事の特集・連載この記事の筆者すべて見る1時間24時間SNSスポニチのアクセスランキング1時間24時間1カ月アクセスランキングトップ' + '' + '' + csvData[i][2] + '' + '' + '' + listDate + '' + '' + '' + '' + '' + '' } rankingUl.innerHTML = htmlList;}const elements = document.getElementsByClassName('siderankinglist02-tab-item');let dataValue = '1_hour';Array.from(elements).forEach(element => { element.addEventListener('click', handleTabItemClick);});fetchDataAndShowRanking();//]]>