読む政治:「票と情」で結びついた自公 パイプ細り、裏金問題で関係破綻

Wait 5 sec.

読む政治深掘り 野間口陽毎日新聞 2026/3/23 06:01(最終更新 3/23 06:01) 有料記事 1908文字ポストみんなのポストを見るシェアブックマーク保存メールリンク印刷公明党の斉藤鉄夫代表らとの会談後、記者の質問に答える自民党の高市早苗総裁(左)と鈴木俊一幹事長=東京都千代田区の同党本部で2025年10月10日午後4時46分、手塚耕一郎撮影 中道改革連合が結成される「前史」として重要な意味を持つのが公明党の連立離脱だ。四半世紀にわたる自公の協力関係はなぜ終わりを迎えたのか。 中道改革連合が結成された舞台裏と今後の展望を検証します。全5回の第2回。26日まで連日午前6時に公開予定です 第1回・「この機会しか…」突き進んだ野田・斉藤両氏 中道結党の舞台裏 関連記事はこちら ・連立離脱「大義はあるのか」 公明の幹部会合で響いた怒号と涙当初は「自民にのみこまれる」不安も 公明党が、自民党との協力関係をスタートさせたのは1999年、小渕恵三内閣の時だ。 64年の結党以来、野党に軸足を置き、自民の金権体質を追及するなどしてきただけに、大きな方向転換だった。 きっかけは前年の98年参院選で自民が惨敗し、参院で過半数を割り込む「ねじれ国会」になったことだ。 当時は金融危機のまっただ中で、金融再生関連法の整備が急務だった。 野中広務官房長官は98年8月、後に公明幹事長となる冬柴鉄三氏に連立参加を打診。冬柴氏は「『非自民』でやってきたからすぐにはいかない。ワンクッション入れてもらいたい」と前向きな感触を伝えた。 自民はまず自由党との連立政権を99年1月に発足。同年の通常国会で、公明は日米防衛指針(ガイドライン)関連法や国旗・国歌法などの論議を呼びそうな法案に賛成する方針を決め、自民と接近した。 公明関係者は当時、野中氏と公明幹部の会合に呼ばれた際に「『法案に賛成することになるから、お前は理屈を考えろ』と幹部に指示された」と明かす。 7月24日、東京・杉並公会堂で開かれた公明の臨時党大会は高揚感に包まれていた。 神崎武法代表は「未曽有の難局を乗り越える政治的リーダーシップが今こそ必要だ」と連立政権への参加を表明した。 党内では「自民にのみこまれるのでは」との不安の声も出たが、執行部は「中道の公明が政権参加することで改革が可能になる」と理解を求めた。二階氏「何もない時に会うことが大…この記事は有料記事です。残り1083文字(全文1908文字)【時系列で見る】【前の記事】連立離脱「大義はあるのか」 公明の幹部会合で響いた怒号と涙関連記事あわせて読みたいAdvertisementこの記事の特集・連載この記事の筆者すべて見る1時間24時間SNSスポニチのアクセスランキング1時間24時間1カ月アクセスランキングトップ' + '' + '' + csvData[i][2] + '' + '' + '' + listDate + '' + '' + '' + '' + '' + '' } rankingUl.innerHTML = htmlList;}const elements = document.getElementsByClassName('siderankinglist02-tab-item');let dataValue = '1_hour';Array.from(elements).forEach(element => { element.addEventListener('click', handleTabItemClick);});fetchDataAndShowRanking();//]]>