毎日新聞 2026/3/23 09:49(最終更新 3/23 09:50) 1324文字ポストみんなのポストを見るシェアブックマーク保存メールリンク印刷東大の過去問題「赤本」とバットを手に、記念撮影に応じる明秀日立OBの李玟勲さん=茨城県日立市の同高で2026年3月16日午後0時4分、井手一樹撮影 甲子園出場経験のある強豪・明秀日立(茨城県)で4番を打ったOBの李玟勲さん(20)が、1浪の末、学校初の東京大合格をつかんだ。入学後は野球部に入る予定で、東京六大学野球で力を磨き4年後のプロ入りを見据える。【井手一樹】 10日正午ごろ、受験した東大理科2類の合格者の発表時間になると、すぐにウェブサイトを開いた。緊張する間もなく、自身の受験番号を見つけ、両親や高校時代の恩師で野球部の金沢成奉監督に電話した。合格を伝えるはずが、大粒の涙があふれ言葉が出てこない。「電話の相手から『ずっと泣いていて、不合格かと思った』と後で言われた」と苦笑した。Advertisement 台湾北部・新北市に生まれ、ソフトボールをしていた父の影響で小学1年の時に野球を始めた。高校球児が日本一をかけて戦う甲子園をテレビで見て、日本の野球に憧れた。 台湾で高いレベルの野球に取り組むには、高校でスポーツクラスに入り、勉学よりも野球に大きな比重を置くことがほとんどだ。「勉強を諦めたくない」との思いが強かった李さんは小4の時、中学卒業後に海を渡ることを決意した。 留学に向けて準備を進める中、両親から教えられたのは、プロ野球・日本ハムとヤクルトで投手だった東大卒の宮台康平さんだった。勉強も野球も両立している姿が自分の理想像にピタリとはまった。「甲子園に出て、東大に行く」。目標が決まった。 留学を仲介するNPO法人などから明秀日立を勧められ、入学。ミート力が武器の中距離打者として2年秋の大会から4番に座った。甲子園出場はかなわなかったが、金沢監督の指導の下で長打力も磨かれ、3年時は6月から引退する7月初旬まで、公式戦を含め5本塁打を放った。 練習試合からの帰路、バスの車内で寝ている選手もいる中、参考書を開いた。バスで寮から学校に向かうわずかな時間も勉強に費やした。それでも、現役合格の壁は高かった。 東京都内の別の大学に合格し入学したものの、目標はぶれなかった。大学の講義が終われば図書館で予備校のオンライン授業を受ける日々。夏休みは、トイレと食事以外は机から離れず、1日15時間も勉強に費やした。 浪人期間の心の支えは東大野球部のブログだった。練習風景の写真を見ながら、自分もそこにいるイメージを膨らませて心を奮い立たせた。自室の机の上には東大野球部の帽子とボールを飾り、毎朝それを眺めてから家を出た。 共通テストは前年より100点近く上昇。40年分の過去問題をこなして2次試験に臨み、見事合格をつかんだ。 金沢監督は「天地が逆転するほどだった」と吉報の瞬間を振り返る。東京六大学ではメンバー発表などの場内アナウンスで出身高校も読み上げられる。名だたる進学校の中、「明秀日立」と神宮球場に響くのを心待ちにしている。次の目標は「プロ」 100年超の歴史を誇る東大野球部で、これまでプロ入りした6人は全員が投手。李さんの次の目標は、初の野手でのプロ入り。「夢や勇気を与えられる存在になりたい」と目を輝かせる。 台湾では勉強との両立が難しいと野球を諦める同級生が多くいた。「真剣に野球をやりながらでも東大に合格できると多くの人に知ってもらいたい」。壮大な夢を携えて、4月に赤門をくぐる。あわせて読みたいAdvertisement1時間24時間SNSスポニチのアクセスランキング1時間24時間1カ月アクセスランキングトップ' + '' + '' + csvData[i][2] + '' + '' + '' + listDate + '' + '' + '' + '' + '' + '' } rankingUl.innerHTML = htmlList;}const elements = document.getElementsByClassName('siderankinglist02-tab-item');let dataValue = '1_hour';Array.from(elements).forEach(element => { element.addEventListener('click', handleTabItemClick);});fetchDataAndShowRanking();//]]>